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遊歩手帳


遊歩するのは街や自然や風景の中ばかりではありません。言葉の中にも、絵の中にも、音や声の中にも、つまり人の魂の中にも、僕たちは遊歩していくのです。遊歩している最中ちょっと手控えしておきたいことに出会うことがあります。あとでゆっくり考えたい、思い出したい、と。そのための手帳がこの「遊歩手帳」です
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2011年6月10日(金)
今日アップしたものは

まず、ギャラリー部屋「ぼくはひとり屋上で…」にシルクスクリーン作品「ブエノスアイレスのマリーア」を全作品アップしました。一つ一つの絵には、ポストカードコレクションブックに発表した際にそれぞれの絵につけた詩が付けてあります。
 第二は、部屋「授業資料缶」に、拙著『いのちを生きる いのちと遊ぶ』の5章「遊ぶひとは遊ぶ眼をもって――福森慶之介さん創作訪問記」を読んだ学生たちの感想を数編掲載しました。これらの感想は大変優れたもので今の学生の内面にある問題を実に鮮やかに映しだしている、と僕は思います。またそれを書く文章の真摯さによって僕たちに希望もくれると思います。
 第三は、部屋「工事現場」に今構想している本『民俗学と母権制論』の目次構想と、その芯になる石田英一郎論の、さらにその芯となる僕の最近の論点を示す問題を素描した小論を掲載しました。一つは、講談社学術文庫の『桃太郎の母』(石田英一郎)につけた小松和夫の解説を辛辣に批判したものと、石田の西欧精神論「愛と憎しみのの文化――西洋文明論のための覚え書き」を批評しながら、そこで出された論点がいかにニーチェ思想の根幹に触れるものであるか、にもかかわらず石田がそこでニーチェに触れていないことへの、僕の強い不満を述べたものです。

2011年6月12日(日)
昨日はかなり作り直す

アップしてみると、かなりぐしゃぐしゃだったりして、これを一から出直して、作り直すのはかなり精神力が必要。
部屋「わたしという書庫」に『根の国へーー秀三の奄美語り』の紹介記事をアップ。「記憶瞬間」には、二〇〇七年に奄美の古仁屋で夏二か月暮らした時に撮った写真を幾枚かアップ。また姫路城の薪能の写真、これも数年前のものだが、これもアップ。今日は、午後に部屋「授業資料缶」に、この数年間僕が「イジメ問題」を扱った授業で収集した学生の「イジメ経験証言集」をアップする計画。


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