第Ⅰ章 二つの救済欲求の両極性と対話可能性について
1 私の問題設定
「二つの救済思想のあいだ」を書名とし、その副題に「架橋的思索」なる言葉を掲げる本書において、そもそもその「二つの救済思想」とは何を指すのか?
かのマックス・ヴェーバーは、当該の集団なり個人が如何なる状態への到達をもって自分たちが宗教的に救済されたかと見なすか、それを問う概念として「宗教的救済財」という概念を設定し、その『古代ユダヤ教』において、古代ユダヤ教の掲げる「宗教的救済財」の特質を次のように規定した。
すなわち、「賤民民族」に貶められたユダヤ民族の苦境を打破し民族解放を勝ち取ること、また富裕階級の私利私欲を糾弾しその専横を排し、ユダヤ社会をあくまでも真に同胞的な相互扶助共同体として維持すべく戦い、昔日のダビデ王国の栄光に範をとる(『イザヤ書(第一)』)[1]、詳細に明文化された強力な律法精神と「兄弟愛」の絆が隅々にまでゆきわたる絶対正義が貫かれる完璧な道徳国家=「義人の王国」の建設であった、そしてヤハウェはまさにこの「政治的および社会的革命」を導く「軍神」にほかならなかった、この点で彼らが掲げた救済ヴィジョンは徹底的に「現世内的」であった、と[2]。また彼は、近代西欧社会においてキリスト教のプロテスタント教団が「合理的『現世内』倫理」を社会的に形成するにあたって発揮したその巨大な宗教的エネルギーのそもそもの思想的淵源をこの古代ユダヤ教の掲げた「宗教的救済財」のうちに見たのである[3]。
そして他方、彼はこのユダヤ=キリスト教の掲げる「宗教的救済財」の伝統に見事な対照をなす事例を古代インド諸宗教、なかんずくヒンドゥー教と仏教の掲げるそれに見いだし、その特質を「神人合一の無感動的エクスタシス」と形容してみせた[4]。そしてかく形容する場合の「神」とは汎神論的な非人格的な無限なる宇宙の全体性としての「絶対者」にほかならないことを強調し、ユダヤ=キリスト教の掲げる神が、その「宗教的救済財」の特質と不可分な関係において「創造主的人格神」として表象される事情と対比したのである。
端的にいうならば、私のいう「二つの救済思想」とはヴェーバーが析出した右の二つの「宗教的救済財」のそれぞれを指す。
ただし、私の問題関心はヴェーバーにそのまま追随するものではない。彼の考察は、私の視点からいえば、その考察の重点を両者の対立性に置くものであり、絶えず両者の両立不可能性の強調に向かうものであるが、他方、私の問題関心は、両者の対立性を十分に意識しながらも、両者の混淆性ないし往還性の力学が、程度の差こそあれ、それぞれの宗教の垣根を超えて常に人間の宗教的救済欲求においては立ち現れるという事情、これに焦点を合わせるのである。*1
*1 たとえばヴェーバーは『世界宗教の経済倫理』の「序論」のなかでこう述べている。――ユダヤ=キリスト教における「使命預言」の観念は「特定の神観念、つまり、現世を超越する人格的な、怒り、赦し、愛し、求め、罰するような創造主という神観念と深い親和性をもっていた」のであり[5]。他方、インド諸宗教が掲げる「神人合一」的な救済観念が定立する神は「通例は、瞑想的な状態としてのみ近づきうるような、したがって非人格的な最高の存在である」から、この点において両者は「対照的である」と[6]。また続けて、キリスト教の範疇内に位置しながら汎神論的思想を追求したエックハルトに言及して、彼は「西洋的な天地創造の信仰や神観念における一切の決定的に重要な諸要因を完全に放棄することなしに、神秘主義者に固有な汎神論的神体験を貫きとおすことができなかった」という内的矛盾に直面した、と[7]。なおこの問題に関しては、私の観点も含めて、拙著『ドストエフスキーとキリスト教』・第二章・補注「汎神論的カタルシスをめぐるマックス・ヴェーバーの議論への注解」も参照されたし。
私は既に二〇〇三年に、独文で「二つの救済欲求の両極性と対話可能性――西田、三木、そしてニーチェ」という論文をミュンヘン大学・日本学のヨハネス・ラウベ教授の退官記念論集に執筆したが、そこで大略次のような問題意識を披歴している。(補注*2によって、その後の研究成果を補充しておく。)
――人間は、おのれを根源的自然から離陸させることで「歴史的=社会的存在」へと形成するがゆえに、つまり固有の意味で人間的存在となるがゆえに、必然的に二つの救済欲求ないし二つの形而上学的欲求をもたざるを得ない。
一つは、こうした「歴史的=社会的存在」となるという人間的運命が必然的に人間に課すことになる受苦からの救済を、この運命そのものの再否定によって実現しようとする救済欲求である。つまり、人間は脱・社会的=脱・歴史的次元において根源的な宇宙的融合へと帰還することで救済を得ようとするのである。もう一つは、救済をこの運命の最終的な終末論的先端において期待しようとする、それである。つまり、正義、平和、平等な幸福が支配する「神の国」の到来への政治的希求である。この救済欲求は同時にあらゆる政治的な情熱のいわば神話的=精神的な薪ともいうべき社会的ユートピアの湧出の宗教的母胎でもある。
後者の救済欲求を人間の宗教文化史上最も鮮烈に決定的な形で押し出したのは、つとにマックス・ヴェーバーが強調したように古代ユダヤ教のヤハウエ主義者であり、またその直系の継承者として登場するパウロを創始者とする「正統キリスト教」である。前者の代表者は、その主知主義的に合理化された形態においては仏教である。
かくて後者はその救済的情熱においてくりかえし社会と歴史という地平へと送り返され、そこで終末論的先端を見つめようとするであろう。他方、前者の情熱は直接に自我と宇宙との、あるいは自我と根源的自然との融合へと向かい、社会と歴史それ自体を超越しようとするであろう。
しかしながら、この両極性は人間存在そのものがもつ存在論的起源をもつ両極性であるがゆえに、一方はなるほど他方に対して傾向的に一方の極を代表するが、しかし他方の契機をまったく欠如するというわけではない。いずれも実際は自己固有の〈他者〉(他方の極)との対決をとおしておのれ自身のなかの〈他者〉に触れるのである。
たとえば、仏教の民衆的形態において重要な意義をもつ「極楽」表象には、くだんのユダヤ=キリスト教的な「神の国」の諸要素と共通あるいは類似した諸要素が見いだされるだろうし、逆に後者の思潮のなかにも前者の本来の救済ヴィジョン(宇宙的融合への帰還)と共通・類似した傾向がその内部の「神秘主義」的思潮としてはっきりと登場するであろう。*2
こうした事情が、対決が必然的に対話となり、対話はつねに自己批判の試みになり、そうすることで対話こそが普遍的なものへと至る唯一の道となるということの、根拠である。私見では、自己批判の契機があるからこそ対話は真剣なものとなり、そうしてまた対話が真剣なものであればあるほど、そこには自己批判の相互性が生き生きと活動し始める。そして、この自己批判の相互性があるからこそ、対話は対話する双方が通常はなかなか打ち破り難いおのれ自身の存在に貼りついた自己の限界を、まさに対話の力を借りることで、より普遍的な地平へと突破しようとする試みとなるのだ。
*2 たとえばヴェーバーは大乗仏教が「救世主」的要素を孕むに至る事情を、仏教を民衆に普及するさいに原始仏教が逢着した次の問題から説明しようと試みている。いわく、「第一に、布教の理由から、俗人の宗教的な関心を考慮しなければならなかった。俗人は涅槃を熱望しなかった、そして仏陀のような、自己救済の模範的予言者とともに始めることはできなかった。むしろ彼らは、此岸の生のためには救難者、彼岸の生のためには極楽を求めた。そこから、大乗教においては、普通、菩薩(救済者)の理念をもって、自力覚者の理念と大聖(自力救済)の理念とに置き替えたといわれるあの過程が現れた」[8]。
なおここで、ニーチェについて一言言及しておきたい。実に本書においてニーチェの存在は右に述べたテーマを追ううえで格別の意義をもち、その事情はおいおい明らかになるが、これから紹介するニーチェの問題把握も直にそれにかかわる。
彼は、彼の哲学的デビュー作である『悲劇の誕生』において、既に早くも、古代ギリシャのディオニュソス信仰がもつ反・政治的性格をこの信仰のもつ自然主義的志向の裏面をなす問題として次のように把握していた。
すなわち彼によれば、ディオニュソス信仰の掲げる救済観念は社会的=歴史的次元を超越して自然という次元へと人間が根源的に帰還することを志向するものであり、「ディオニュソス的悲劇のまず第一の作用」とは、「国家と社会が、一般に人間と人間との間隙が、自然の胸へと連れ戻す一種圧倒的な一体感の前に消失するということ」[9]であり、「現象のあらゆる有為転変にもかかわらず、生は究極のところ破壊しがたく強力であり、かつ歓喜に満ちている」という「形而上学的な慰藉」[10]を与えることなのである。したがって、ニーチェはディオニュソス賛歌を歌う古代ギリシャ劇の合唱団は「彼らの神の下僕としてあらゆる社会圏の外に生きているのであり、彼らの神に仕える無時間的な奉仕者となっている」[11]と指摘する。そしてこうも述べている。「無関心、否、敵意にまで高まるほどの、政治的本能の毀損」が「ディオニュソス的昂奮が著しく猛威を振るうごとに常に看取される」[12]と。
このようなニーチェの問題対置が暗黙の裡に前述の古代ユダヤ教と正統キリスト教とを直結させる継承線に狙いをつけていることは明白である(そのことは本書第Ⅵ章「ニーチェの『キリスト教』批判と仏教評価」において詳論する)。
私が述べた「二つの救済思想」の両極性ないしは対立性は既にニーチェにおいてかくも鮮やかに問題把握されていたのである。
ただし、くりかえしになるが、私の関心はその対立性が同時に混淆性となり往還性となって生きられる、その力学の解明にこそある。
この問題の環への注目は長年にわたって私のなかに持続し、最近出版した『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』においては次のような問いを私にもたらすものとなった。同書において、私はイエス自身の思想と古代ユダヤ教の主流をなすヤハウエ主義とのあいだに誕生する亀裂と対立に注意を集中するともに、イエス思想のパウロ的=正統キリスト教的継承とは全く異なるもう一つの継承線を体現する、古代最大の異端派たるグノーシス派キリスト教のイエス解釈を考察の大きな対象として据え、「汎神論的宇宙神と憐愛の神とは如何に媒介可能か?」と題する節を掲げたのである。(なおここで急いで言い添えるならば、かのグノーシス派キリスト教の基底をなすプラトン主義的宇宙観――「充溢」的宇宙的全一性と「欠如」的個別存在とが結ぶ全体性‐部分の弁証法的関係性を存在原理に据える――と、それに基づく救済思想は、多くの研究者によって仏教との期せずしての強い類似性が指摘されるものである。*3)
*3 湯浅奏雄は、仏教学者コンツェの考察を援用しつつ、大乗仏教とグノーシス主義との近似性を論じているが、彼の紹介によれば、コンツェは「根本的な類似」は「霊的認識としてのグノーシスと瞑想による『慧』のみが魂の真の救済をもたらすという考え方」にあると主張しているとされる[13]。また『ナグ・ハマディ写本』の著者エレーヌ・ペイゲルスもコンツェの見解に注目し、当時東西文明の混淆せる接触点となった国際都市アレクサンドリアをいわば文化的震央として、「グノーシス(智慧・霊智)」の観念がヒンドゥー教や仏教とキリスト教との接触のなかで誕生し、グノーシス派キリスト教を生んだ可能性は十分にあるとしている[14]。しかしながら、本書が取り上げる主たる人物たちは――ヴェーバーにはわずかながら登場するが、またソロヴィヨフには明白に登場するが――グノーシス派キリスト教の存在についてはまったく言及していないといって過言ではない。おそらくその存在は、当時にあってはまだ彼らの考察範囲には届かなかったのであろう。また拙著『聖書論Ⅰ・Ⅱ』ならびに『ドストエフスキーとキリスト教』はグノーシス派キリスト教には大いに注目し、その教義を取り上げているが、仏教的・ヒンドゥー教と同派の近似性宇宙観についてはまだ論及するに至っていない。そこまで私が踏み込んだのは、本書が初めてである。
私は同書でまず『マタイ福音書』においてイエスが「汝の敵を愛せ」と説いたあと、さらに「そうすればあなたたちは、天におられるあなたたちの父の子らとなるであろう。なぜならば父は、悪人たちの上にも善人たちの上にも彼の太陽をのぼらせ、義なる者たちの上にも不義なる者たちの上にも雨を降らせて下さるからである」と説く点に注目し[15]。それを引き継いで右の節で大略こう論じたのである。(なお、本書第Ⅷ章・第3節で詳論するように、田辺元は私の問題意識と重なる点を多分に含む彼の「無即愛」の視点からやはりこの一節に注目している。かかる注目をおこなっているのは、本書が取り上げた思想家のなかではおそらく彼だけだと思われる。この点でも、本書において田辺の占める問題的意義は大きい。)
この一節は、明らかに『エレミヤ書』の次の一節、すなわち、ヤハウエは義人・善人には良順の天候を与え、不義なる悪人には悪天候と不作を与えて懲らしめると述べる一節に意識的に対置されていると思える[16]。まず、それが『マタイ福音書』のくだんの箇所、イエスは魂の医者として、罪人の魂の病を治療するために彼の下に罪人を集めるために来たのであって、義人を糾合するために来たのではないという一節に呼応していることは明らかである。それほどにイエスの「神」――彼は彼の神を一度たりとヤハウエとは呼ばず、アラム語で父親を親愛な気持ちを込めて呼ぶときの「アッバ」の呼称を使ってのみ呼んだ――は憐れみ深く、その深さは善人や義人のみならず罪人にも太陽をのぼらせ雨を降らせるほどだ、とこの一節はいうのだ。
ところで私の問題関心とは次の点にある。汎神論的な「充溢」‐「欠如」の宇宙観を根幹に据えてイエス解釈を試みる、グノーシス派キリスト教という強力な異端派がかつて存在したという事実を念頭に置くならば、右の一節に関して、イエスの慕う「神」の憐れみの深さ――ヤハウエ神には似合わぬ――を表現するものとして、くだんの『エレミヤ書』――まさに創造主的人格神たるヤハウエだから可能な自然災害をもってなす懲罰を示――とは明確に異なって、むしろ汎神論的思考に連なる神の表象がここで語られていることは何を意味するのか? という問いが十分に立ち得る。
ヴェーバーはインド諸宗教の掲げる「宗教的救済財」を、宇宙神としての神と人間との「神人合一の無感動的エクスタシス」と特徴づけたが、それではこの特徴づけを一方の極に置き、それを「汎神論的宇宙神による救済」の極と名づけ、他方の極に『エレミヤ書』の示すヤハウエ主義を「創造主的人格神による救済」の極として置き、そのうえでイエスの位置を測るならば、その位置はどう規定されるべきか? イエスの追求するそれもまた「神人合一の無感動的エクスタシス」といい得るか? グノーシス派のいう「安息」は限りなくインド諸宗教のそれに近いといい得るとして、ではイエスはどうなのか? あるいは、ニーチェの「善悪の彼岸」という概念を持ち出したうえでこう問うてみたらどうか? 右の一節にいう善人と悪人を区別することなく等しく両者に太陽をのぼらせ雨を降らせる「父」なる神とは、明らかにニーチェ風にいえば「善悪の彼岸」に立っているのだが、それは果たしてニーチェと同じような意味でそうなのか?
実はこういう問いを設定すると、実はそこに洋の東西にまたがる次の共通問題が浮び上がってくるのではないか? すなわち、右の一節に登場しているイエスの「神」は、「汎神論的宇宙神による救済」の極から見れば、汎神論的宇宙神自身は論理的には明らかに「善悪の彼岸」に立つ「無道徳的な神」(湯浅泰雄)であるはずだが、しかし、その神が同時に「慈悲と赦しの神」――「裁きの神」との対立的な対関係にあるという意味では依然として道徳的地平を去ることのない――となって現れるという複合的な混淆性、これがわれわれの眼を射ることにはならないだろうか? そして、かかる複合的混淆性は、実はイエスに限らず、老子にも仏教にも、そしてまさしくグノーシス派キリスト教にも、さらにユングやオットーの解釈のなかにも見いだされはしないか?
問題を鮮明にするために、ここであらためてニーチェを持ち出してみたい。
ニーチェは『権力への意志』の終わり近く断章一〇〇四でこう述べる。「高所からの鳥瞰的考察をほしいままにしうるのは、すべてのものが、その成りゆくべきとおりに現実の成りゆきもなっているということを、すなわち、あらゆる種類の[不完全性]とそれで受ける苦悩とは、同時にまたこのうえなく望ましいものに数えられてよいものであるということを、わきまえるときである」(傍点、清)[17]と。
しかも彼はこの視点から、宇宙のあらゆる事物・現象のなかにいわばそれらの生気論的本質として各々に固有な「力への意志」を見いだし、それら諸々の「力への意志」のカオス的=交響楽的なディオニュソス的融合の「一者」性のなかに「生成の無垢」の絶対的な力性を見て取り、これを是とするという思考回路をとおして、彼の「主人道徳」の暴力性を正当化した[18]。また湯浅泰雄はユングを論じるなかで、旧約聖書後期の『ヨブ記』あるいは知恵文学や黙示録文学においてヤハウエは汎神論的宇宙神の相貌も見せるようになり、「アモラル(無道徳)な神」の相貌を呈し始めると――まさにニーチェを引き合いにだしながら――論じている[19]。
また『老子』第五章には「天地不仁。以万物為芻狗。聖人不仁。以百姓為芻狗。天地之間。其猶藁籥乎。虚而不屈。動而愈出。」とある。福永光司による訳によればこうである。「天地は無慈悲で、万物を藁の犬ころあつかい。聖人は無慈悲で、万民を藁の犬ころあつかい。天と地との間は、鞴のようなものであろうか。なかはからっぽで無尽蔵の力を秘め、動けば動くほど万物が限りなく現象してくる。」[20]。
福永光司は、この一節の解説にあたって、老子のいう宇宙創成の理法である「道」は「一切の人間的な有情を厳しく遮断する天地自然の無情な在り方、大自然の理法の冷酷無残な“非情”性」[21]において特徴づけられるもので、この点でキリスト教のいう「愛の神」とも「阿弥陀仏の慈悲も弥勒仏の救済」とも異なると強調している[22]。
ニーチェならびに老子のなかの「大自然の理法の冷酷無残な“非情”性」の認識を一方の極に置き、他方の極にイエスのいう「父」なる神を置くならば、グノーシスのいう至高神はその中間に位置するようにも思える。また老子の思想の全体はニーチェ的な「生成の無垢」の「非情性」と他方の女性原理的な《赦し・平和・柔和の倫理》とのあいだを振幅するものと映る。つまり、ここでわれわれは前述の「無道徳的な神」と「慈悲と赦しの神」との複合的混淆性に出会っているのだ。実は私が先の「イエスにおける神観念の転換」節の末尾で言及した問題とはこの問題にほかならなかった。
なおまた私は、ここでわれわれはもう一つの問題側面にも出会っているのではないかとも思う。ここで先のニーチェの「高所からの鳥瞰的考察をほしいままにしうる」云々の議論に戻りたい。
ニーチェの哲学的デビュー作である『悲劇の誕生』を読むと、世界に対する視点のかかる「高所」への形而上学跳躍、それを古代ギリシア人に得させるものこそが古代ギリシア悲劇の悦楽性そのものであると彼が考えていたことがよくわかる。「個体性」の原理の頂点に立つ英雄的主人公の悲劇的死は宇宙の全体性である「根源的一者」への融解であり、この融解こそは同時にあらゆる死を再生へと取り返す「根源的一者」の永遠回帰的な自己生殖、枯れ果てることなき永遠の生への言祝ぎに悲劇の苦悩が転換する瞬間であり、ギリシア悲劇の悦楽性とはこの感情転換を観客が享受することにほかならない。つまりニーチェによれば、そのとき観客はおのれの個人性を超克し、「根源的一者」との自己同一化を成し遂げ、「根源的一者」の側に立つ主体へとおのれを主体転換しているのだ。ニーチェが発狂の前年に公刊した『偶像の黄昏』はこの主体変換を遂げた者の眼に映る世界の在りようを次のように記している。すなわち、そこにおいては各個人の負う「宿命性は、過去に存在し未来に存在するであろうすべてのものの宿命性から解きはなすことはできない」ものとして現れるに至り、「人は必然的であり、一片の宿業であり、全体に属しており、全体のうちで存在している。〔略〕全体以外には何ものもないのだ!」という覚醒が生じるのだと[23]。そして彼はこの確認をもって創造主神宗教であるユダヤ=キリスト教的宇宙観への訣別の辞としたのである。いわく「私たちは神を否認する。私たちは神において責任性を否認する。すなわち、このことではじめて私たちは世界を救済するのである」(傍点、ニーチェ)と[24]。
グノーシス主義のいうソフィア的智恵の感得をとおしての「プレーローマ」的全体性への帰還としての救済にしろ、禅仏教的「平常底」の悟りにしろ、道教の「道」をとおしての即天的覚醒にしろ、それらはみな救済の到着点を――ヴェーバー的にいうなら――「神人合一の無感動的エクスタシス」という「宗教的救済財」の獲得に置く点で共通している。それは人間個人におのれの立ち位置を宇宙的全体性の側へと主体転換することを迫るものなのだ。
もっとも、ヴェーバーがこのエクスタシスに与えた「無感動的」という形容詞はニーチェのいう古代ギリシア悲劇のディオニュソス的悦楽性に与える形容詞としては不適合かもしれない。しかし、この形容詞の狙いが、その独特なる法悦・恍惚感が人間界を支配する地上的な喜怒哀楽の次元・水準・質を超越した、そこにおいては諦観が一転して祝福感へと転じるいわばカタルシス的性格のものだという事情を指す点にあるとするなら、ニーチェのそれにも適合的といい得るであろう。先の福永の議論を援用すれば、イエス的有情も阿弥陀的有情もさらに超越したところの非情性・無常性が、その意味での「無感動性」がまさにその超越・超出性によってこそ醸しだすカタルシスとしてのエクスタシスというものがあり、オットー的にいえば、それこそが究極の「宗教に固有」の「ヌミノーゼ」的な救済感情だということになろう[25]。
とはいえ、ほとんどの宗教において、この超出性はふたたび地上的人間界へと帰還・還送されて再び人間の有情のなかで新しい生命感情となって生き直される往還論理が説かれる。そのとき多くの場合、非情なる宇宙神はたとえ父神の相貌を当初とっていたとしても実質的には母性愛を原理とする「慈悲と赦しの神」へと変貌する。
ではさらにいって、どのような媒介の論理・説明の論理を経ることで、この宇宙神の二つの相面は一つとなるのか? どのような往還の内的論理が、あるいは文化人類学的ないし深層心理学的説明が説かれるのか?
私はおおよそ右のように論じ、最後を次の言葉で結んだ。――「実はこの問題は――私が出会ったかぎり――これまでの宗教論において本格的に問われたことがまだほとんどない。それはこれから本書で私が問うてゆかねばならない問題なのである」と[26]。
そして、かかる問題意識を直近の拙著『ドストエフスキーとキリスト教』は次のように引き継いだ。
イエスの体現する汎神論的契機と共苦の愛の結合・混淆の試みもこうした往還の論理の典型的な形といい得るのではないか?
イエス思想の独自性は、いわば汎神論的な「宗教的救済財」を視野に置きつつ、「神の子」でありながら「人間の子」の側に、つまり《罪》と《根源的弱さ》を生きざるを得ない人間の側に寄り添い留まり続けようとする、人間的意志あるいは人間的有情にあると思われる。いいかえれば、イエスは如何なるときも自分を「神」(創造主神であろうと宇宙神であろうと)の代弁人たらんとする「神学者」の位置に就けたことはなく、「心を砕かれた人々」を癒す「医者」としての宗教的実践者たることに終始したというべきではないか? また次のようにいえるのではないか?
イエスにおける「父」なる神の「固有な関心」は、義と不義、善と悪との弁別が必至の事柄となる現世内的事情に焦点を合わせるものでは全然ない。くりかえしいえば、政治的な集団的敵対性の増強が必ずマニ教的な道徳主義的硬直化を要請するという状況[27]、ならびに制度維持を図る権力はつねにそうしたマニ教的二分法によっておのれの身を養うという事情に。逆にそれは、絶対的と見えた悪人と善人、義者と不義者との区別が、善人・義人のなかの隠された悪が暴露され、あるいは逆にいえば悪人・不義者のなかの隠された善と義とが顕わになることでまったく相対的なものへと変わり、そうなることで無効となり、対立する両者が等化となる、そうした人間存在の究極的な問題地点に照準を結ぶものなのではないか? パウロ的にいえば、律法をいとも簡単に踏み破る欲動の衝動性と死の不可避性に切り離しがたく結ばれた人間の現世的=肉体的存在が孕む《根源的弱さ》、いかなる個人の「自力」による道徳的自己改善・社会改革の努力も手の届かぬところにある人間の存在そのものと一つとなった《弱さ》、あるいは《運命》によって負わされた自力では如何ともし得ぬおのれの罪性、ならびにこの《弱さ》と罪性に向けられた慈悲への渇望という問題地点に焦点を結ぶのではないか? いいかえれば、社会・政治・歴史の地平の根底にあるがゆえに、それを超えてもしまうメタ次元に位置するという点で、根源的自然の地平、宇宙という地平、いいかえれば人間の存在そのもの、その実存的地平に掉さすといわざるを得ない《弱さ》と罪性の問題、それが産む苦悩からの魂の救済という問題に照準を結ぶのではないか?
イエスにあってくだんの「汎神論」的契機は次の往還的運動を人間の魂のなかに惹き起こすための観念装置としてあるのではないか? つまり、人間が人間である限り、人間は如何ともしがたく自分たちを国家を頂点とする社会的秩序に組み込み、この社会装置によっておのれを律することによってのみ、まさにおのれを「善悪の彼岸」ならぬ「善悪の此岸」に置き据えることによってのみ生存を可能とする。この根源的事情にさいして、イエスは「汎神論」的な宇宙的全体性の視点を介入させることで、いったんこの地上的存在としての人間の事情、「善悪の此岸」に立つほかないという事情を一挙に相対化し、地上的な善悪の区別を絶対視し、そうすることでたちまちマニ教主義的善悪二元論の罠に落ち、争闘の論理によって自分たちをがんじがらめに縛りあげるわれわれに、その自分たちを懐疑し、そうすることによって見失った認識と感性に再び眼を開くことを教えようとしたのではないか? そのような自己相対化の回路の象徴としてイエスを捉えるべきではないのか?
またイエスは、「裁き」と復讐欲望に凝り固まった怨恨の心性を「赦し」と共苦の心性へと内側から打ち開くための必須の媒介路として、グノーシス派ときわめてよく似て、宇宙的全体性の呼吸する「プレーローマ的安息」のうちに人間がいったんおのが魂を解きほぐし浄化する必要性を深く直観したのではなかったか? そのような解きほぐしと浄化によってのみ共苦の愛の「広き、大らかな」(ドストエフスキー)立ち上がりが促されることを。
つまり、われわれが自分たちの「社会的存在」性を「善悪の彼岸」に立つ「非情・無情」なる汎神論的全体性としての「自然」の方へと超越する《往路》は、実は同時にそこからの《還路》でもあり、往くことが還ることでもある往還の運動性のなかでこそ、われわれはこの如何にしても超越不可能な「善悪の此岸」を可能な限りいちばん正しく、つまりマニ教主義的善悪二元論に滑落するという誤りを犯すことをいちばん少なくし、共苦の愛を可能な限り膨らませて歩く、その歩行姿勢――「裁くな、赦せ」――を手にできるのだ。この知恵の象徴こそがイエスではないのか?
なお、私は拙著『ドストエフスキーとキリスト教』では、右の議論をこう締めくくっている。――「思うに、ドストエフスキーの文学こそこうしたイエス理解にいちばん道をつけている」と。
まさに本書はこれまで縷々述べてきたこうした私の問題意識をあらためて正面に据え、エックハルト、ニーチェ、ウイリアム・ジェイムズ、鈴木大拙、西田幾多郎、三木清、田辺元、等々の思想家たちのあいだに、まさに二つの救済思想を架橋し媒介する考察を展開することで、徹底的に追求することを期したものなのだ。
2
私の架橋工作対象
では、これからおこなう私の架橋工作の概要をあらかじめ述べておこう。
まず本書において一方の基軸になる思想家は誰よりもまずマックス・ヴェーバーである。そして他方の基軸に私は鈴木大拙を据える。
というのも、大拙は仏教の救済思想上のキリスト教に対する優位性を確信していた仏教思想家であったとはいえ、同時にその小乗仏教批判(本書第Ⅲ章・「大拙の小乗仏教批判」節)に顕著に見られるように鋭い自己批判能力の持ち主でもあり、その点で両宗教の相補性を自覚する必要性を強く説いた思想家でもあったからである。
またヴェーバーについていえば、彼は宗教社会学論集第二巻『ヒンドゥー教と仏教』・第三部「アジアの宗派的宗教類型と救世主的宗教類型」において大拙のいわば思想家としてのデビュー作である『大乗仏教概論』(一九〇七年に“Outlines of Mahāyāna Buddhism“として英文で出版された)を大乗仏教の好個の解説書として受け取り[28]、実に彼の解釈を次のように批評していた。――大拙の解釈は、大乗仏教を「非常に近代的な神秘主義の意味で解釈することを許す」見地からのもの、「現世内神秘主義」と形容し得る「現在『特殊』大乗教的なものを代表している」もので、ヒンドゥー教の『パガヴァドギータ』が提示した「現世内的現世無関心」という世界への態度に、それを大乗仏教に摂取するという「仏教的転換」を施したものとみなし得ると[29]。(とはいえ私が調べた範囲では、このヴェーバーのきわめて重要な批評を当の大拙は遂に知ることがなかったし、またこれまでの日本の大拙研究においてもヴェーバー研究においても、この注目すべき事実を取り上げ、大拙の思想とヴェーバーの理解とをあらためて突き合わせ、そこに孕まれる問題を論じる議論は生まれなかったのではないかと思える[30]。というのも、もしそういう論議が起き注目されたならば、当然それは大拙の知るところにもなったであろうが、そのふしはない。鈴木大拙全集の人名索引ならびに文献書名索引を検索してもヴェーバーにも同書にも行き当たらないのだ。また、この全集各巻に付録として添えられた月報を総集した『鈴木大拙――人と思想』(岩波書店、一九七一年)を見ても、この問題を取りあげた人間は誰もいない。私にはこの議論欠如は日本の宗教学や社会学の一つの重大な瑕疵だと思える。*4)
*4 ヴェーバーの原書は一九二一年に初版が出版されており、その最初の英訳は”The Religion of India: The Sociology of Hinduism and Buddhism”というタイトルで The Free Press of Glencoe から一九五八年に出版されている。英語の堪能な大拙なら、情報さえ届いていたら、十分この英訳でまずヴェーバーの議論を読めたはずである。邦訳は、同書の第Ⅰ部だけが一九五三年に、杉浦宏訳・中村元補注、『世界宗教の経済倫理Ⅱ、ヒンズー教と仏教(1)――宗教社会学論集第三――』としてみすず書房から出ている。大拙に直接関係する第Ⅲ部の最初の邦訳は注(1)で指摘したように『アジア宗教の基本性格』というタイトルで勁草書房から一九七〇年に出され、もうこのときには大拙は他界していた(一九六六年没)。しかしテーマからいって、一九五三年の邦訳に接し、そこからさらに第Ⅲ部の読書へと進む可能性は十分あったはずである。彼は実に一九五八年に、訳者坂東性純が「最盛期を代表する英文著作」と評する『神秘主義――キリスト教と仏教』(Mystcism:Cgristian and Buddhist)を一九五七年にアメリカで出版した(邦訳は、岩波書店、二〇〇四年)。そうならなかったことが惜しまれる。なおさらに付け加えるなら、実は既に一九四四年に外務省付属「総合インド研究所」の委託で哲学者の古在由重が同書の翻訳を完成しており、彼は明らかに大拙に関するこのヴェーバーの批評を知っていたはずである。なおこの翻訳は出版間際に敗戦を迎え見送りとなったが、古在はそれ以降終生この翻訳を出版しようとはせず、彼のこの仕事はなかば秘匿された形になった(大月書店からそれが出版されたのは二〇〇九年であった)。もし古在に大拙に当該箇所を伝える意志があれば大拙は既に戦前にそれを知ることができたわけだが、結局戦後になっても遂にそうなることはなかった。
この両者を両極として、そのあいだに私は次に思想家たちを架橋工作対象として配置する。ヴェーバーの側から、大拙の極に向けて、キリスト教的文化圏にありながら親仏教的な汎神論的宇宙観に立つ思想の要素を色濃くもつ思想家なり思潮を並べるならば、グノーシス派キリスト教、エックハルト、ドストエフスキー、ソロヴィヨフ、そしてニーチェが並び、大拙の側からはヴェーバーに向かって西田幾多郎と三木清、そして田辺元が並ぶことになろう。そして詳しい議論は当該章に譲るが、私はこうした汎神論的で神秘主義的な「神人合一の法悦経験」に関してウイリアム・ジェイムズが披瀝した心理学的考察――彼のいう「二度生まれの人」の抱えるいわば「世界疎外経験」からの救済についての――と西田・大拙の浄土教論との深いかかわりに特段の注目を注ぐことを通して、二つの救済経験・「宗教的救済財」の相補性という論点の深化を図ることとなろう。
また、田辺の「無即愛」の思想と、それを基底にして戦後直後掲げられた「第二次宗教改革の予感」という副題をもつ論考「キリスト教とマルクシズムと日本仏教」(まさにこの三者の統合によって新宗教誕生の礎を築こうとする)は、本書が問う「架橋的思索」の日本における傑出した――その問題性においても大なる――代表例ということになろう。したがってまた、私はこの田辺の試みの孕む問題性を相当に立ち至って批判するであろう。
補論1 ヨハネス・ラウベ教授の問題提起
キリスト教と仏教との対話の可能性について、かつてミュンヘン大学・日本学の教授であり田辺元の研究者でもあった宗教哲学者、故ヨハネス・ラウベは、意味深長な副題「いかなる媒介もなき非和解的対立か?」を掲げた論文、「<実体―主体>としての<人格>と<没実体的、没形式的自己>」において次のような重要な指摘を行っていた[31]。彼によれば、これまで西洋ならびに東洋の神学者や宗教哲学者の多くは、彼ら相互のさまざまな意見の対立にもかかわらず、次の点では、すなわち、西洋的な人格理解を「一方では実体主義的、客体主義的であり、他方では、主観主義的である」と特徴づける点では共通していた。しかしながら、こうした理解はそもそも「一面的」であって[32]、いまやこうした一面的理解を超えて、両宗教の対決と対話の試みは或る新しいより適切な地盤へと移し替えられねばならない。それというのも、「将来においてキリスト教と仏教のいずれにも、また人類全体にとっても稔りある対話が可能となるのは、『人格、自己、等々』としての人間に関するこの根本的問いのなかで、理解のための或る共通な土台が見出される場合においてだけだからである」(傍点、清)と[33]。
では、何がその「共通の土台」となるのか? それは、両者にそれぞれの仕方で存在する「『関係としての人格』という立場に立つ哲学や神学」にほかならない。また彼はこうも指摘している。上記の一面的理解の克服がもたらすこの「共通の土台」の発見は、必然的に仏教徒に対しても一種の新しい挑戦を突きつけることになる、と。すなわち、「『無我』についてのおのれの理解をより精確にし、それをたんに西洋の『実体』的思考との関係においてだけでなく、西洋の『関係』的思考との関係においても提示する」という課題を、である[34]。
したがってラウベによれば、人格に関する理解に関してキリスト教と仏教との対立は「非和解的な対立」として理解されるべきでなく、両者は相違と同時にまた共通性をももっているものとして捉え直され、この共通性と対立性の全体においてあらためて両者の対決と対話が試みられねばならないのだ。とはいえ、「この共通性はこれまで決して十分明確には取り出されてこなかったもの」なのである[35]。
しかも彼は先の論文の結論部分で、右の問題提起をキリスト教と仏教とのあいだに一つの相互的な補完関係を見いだす次の認識に結びつけようとしている。いわく、
「人格的かつ社会的諸関係の固有性を擁護する努力のなかで、キリスト教はこうした人格的かつ社会的諸関係が生物学的、物理的、全宇宙的諸関係に組み込まれていることを見失ってきた。反対に、仏教はこれまで諸関係を非常に水平化してきたので、他の諸関係に対する人間的諸関係の特殊性を忘れてきたのである。もっと具体的にいうならば、キリスト教は新たに自然総体に目を向けるべきであり、反対に仏教は人間社会総体に対する、つまり諸集団と個人に対する自分の責任について新たに熟考しなければならない」[36]。
さて、本書の試みはこうしたラウベの主張と大いに重なる側面をもつ。
たとえば、先の彼のいう「或る共通な土台」となる「関係としての人格」という視点に関していえば、本書が取り上げるグノーシス派キリスト教やエックハルトあるいはソロヴィヨフらのキリスト教理解は、まさにこの視点をこそ展開しようとしたキリスト教文化圏内の貴重な試みである。他方、本書においてきわめて重要な考察対象となる西田幾多郎と彼の盟友鈴木大拙の試みは、まさにこの新しい共通地盤の上で仏教徒に新たに突きつけられることになる「挑戦」、それに応えようとする試みとして読み解かれることとなろう。
またラウベが最後に取り上げた両宗教の相補性の問題に関しては、私は次節において鈴木大拙のなす問題提起を是非とも引き合いに出しておきたい。
補論2 垂直的キリスト教と水平的仏教――鈴木大拙の問題提起
両宗教の相補性という問題視角、それは既に早くも鈴木大拙によって掲げられた。彼は人類の普遍的な文化的豊穣化を追求するとの観点から次のような興味深い論点を打ち出していたのである。(私見によれば、両者の対話可能性の意識は必ずや両者の相補性の意識と深く結びついているはずである。)
大拙は、英文による大乗仏教、特に禅仏教の紹介の幾多の仕事によって欧米で最もよく知られた日本人哲学者であるが[37]、彼は常にキリスト教と彼の考える大乗仏教との相補的関係性が発展し普及することを人類社会にとって有益であると考えていた人物でもあった。たとえば『仏教の大意』(一九四七年)の末尾近く次のように語っている。
――仏教とキリスト教とは「二大世界宗教」であり、将来の「世界国家」の建設にあたっては「両教の力にまつこと最も大なるもの」があり、「各々一方にのみ割拠したり、他を排斥したり、軽侮したりするようなこと」はあってはならず、「いずれも寛容の精神をもってお互いに領解することを勉めなくてはならない」。「キリスト教は二元論的立場で事事併存の面に活動する」のが「その特徴」であり、他方「仏教の独自性は即非の論理から華厳の事事無礙に進むところにある」ので、おのずと人々は自分の必要なり性格に基づいてそのどちらかの面に惹きつけられるであろうし、それはそれでよいのだ、と[38]。
最晩年の『神秘主義――キリスト教と仏教』にもきわめて興味深い議論が登場する。
一方で、まさに彼はエックハルトと大乗仏教との深い類似性を強調することによって、こう主張するのである。――エックハルトは、「キリスト教徒の体験が、結局、仏教徒のそれと全く異なったものでないことを、私にますます強く確信せしめてくれる」のであり、だから、「表現の仕方」の差異にこだわるあまり、対立を強調するのではなく、「事態を注意深く思い量って、本当にわれわれをお互いに疎外せしめるものが一体あるのかないのか」、また「われわれの霊性の涵養と世界文化を発展せしめる基盤があるとすれば何か」、それを「吟味してみなければならない」と[39]。
そして彼は同書第Ⅵ章「十字架とさとり」でキリスト教の救済思想にとって磔刑による死とその後の復活‐昇天の担う図像的シンボリズムをさらに抽象化して「垂直性」とし、他方仏教の救済思想の核心を「悟り」・開悟に見たうえで、その図像的シンボルとして大地を遍歴し、入滅して弟子のみならず宇宙の万物に囲まれて大地に静かに横たわる仏陀の涅槃像を取り上げ、それを「平面性」・「水平性」へと抽象化する。
この興味深いシンボル対置の意味するもの、それを彼はこう提示する。いわく、
「垂直性は行動・好戦性・排他性を、他方、水平性は平和・寛容性・寛大さを意味する。行動的であるがため、キリスト教はそれ自体の内に何か物を搔き廻し、心を揺り動かし騒がせるものをもっている。好戦的・排他的であるがため、キリスト教は、民主主義や普遍的な友愛を標榜しながらも、他者に恣意的で、時として、威圧的な力を振るいたがる傾向をももっている。これらに照らしてみると、仏教はキリスト教とまさに正反対であることが判る。仏陀の涅槃像の平面性は時には怠惰、無関心、非活動性を示唆するかも知れぬ。しかし、仏教が平和・静寂・平静そして安定を説く宗教であることに疑いを挟む余地はない。好戦性・排他性などは全く受けつけぬ。それらとは対蹠的に仏教は懐の広さ・普遍的寛容性・世俗の差別意識から超然たることの方を尊重してやまぬ」[40]。
なお、ここでひとつコメントを差し挟むならば(その詳細は後述)、私見によれば、イエスの思想それ自体は――既にニーチェがつとに強調していたように――古代ユダヤ教のヤハウエ主義が体現する好戦性・排他性の「垂直性」に対して、その文化圏の只中から立ち現れた自己批判の契機を表すものとして問題にされるべきものなのだ。いうならば大拙のいう「水平性」の契機を体現したものであり、この点でわれわれはユダヤ=キリスト教文化圏の構造それ自体の内に「垂直性」と「水平性」とが構成するかかる自己批判的葛藤の継続性を見るべきなのである。
いずれ私は右の事情を本書で詳論するつもりであるが、そのことも含めて、このシンボリズムの対置は本書とってきわめて刺激的である。そして私は、大拙がかかるシンボル図式を打ち出したのは最終的には次のことをいわんがためにであったとことに大いに共感するのだ。
彼は同書第Ⅵ章の末尾に、くだんの両宗教の相補的関係性への視点を切り開く次の「私案」を披歴する。いわく、
「平面性が常に平面性に留まるならば、その結末は死である他はない。垂直性がその硬直性を続ける限り、それは潰滅してしまうということだ。実は平面性が平面性でありうるのは、それが起き上がる傾向、つまり、それが何か別なものになる過程の一齣として、あるいは、三次元に移行せんとする直線のような傾きを孕んでいることが認知される時に限られるということだ。これは垂直性に関しても同様である。それが動くことなく垂直性を保ったままでいると、それは自分自身すらも喪失してしまう。垂直性は融通性を得、弾力性を獲得し、可動性との均衡を保っていなければならぬ」[41]。
けだし名言である。大拙の議論はこの指摘をなすところで止まっているが、私としては、右の言葉が指し示す「私案」の具体的な問題内容を展開する書としてまさに本書を差し出したく思うほどである。
[1] 同前、三九頁。関根清三訳『イザヤ書』旧約聖書Ⅶ、岩波書店、一九九七年、四〇頁。
[2] 同前、三九頁、ヴェーバー、内田芳明訳『古代ユダヤ教』上、岩波文庫、二一、二九頁。拙著『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』藤原書店、二〇一五年、『ドストエフスキーとキリスト教』藤原書店、二〇一六年、
[3] ヴェーバー、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』、大塚久雄訳、岩波文庫、一九八九年、一五七頁
[4] 同前、『古代ユダヤ教』、拙著『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』、『ドストエフスキーとキリスト教』
[5] ヴェーバー『世界宗教の経済倫理』の「序論」、六七頁
[6] 同前、六七頁
[7] 同前、六八頁。なお、大拙は『神秘主義――キリスト教と仏教』のなかで、エックハルトの「永遠の今」・「絶対現在」を語る言葉を様々引用した後、「これらの引用文からして、聖書の創造の説話などは完全に否定し去られていることが分かる。すなわち、それはエックハルトにおいては象徴的意味すらもたぬし、またさらに、彼の神は、大半のキリスト教徒のいだいている神とは、似ても似つかぬものなのである」と記している(同書、四頁)
[8] ヴェーバー『ヒンドゥー教と仏教』深沢宏訳、東洋経済新報社、二〇〇二年、三四五~三四六頁
[9] 同前、七一頁
[10] 同前、七一頁
[11] 同前、八五頁
[12] 同前、一九一頁
[13] 湯浅奏雄『ユングとキリスト教』人文書院、一九七八年、一六八~一六九頁
[14] エレーヌ・ペイゲルス『ナグ・ハマディ写本』、新居献、橋本和子訳、白水社、一九九六年、一八~一九頁、二三四頁
[15] 拙著『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』一五五頁、『マルコによる福音書 マタイによる福音書』、一一一頁。
[16] 同前、一二〇、一五五頁)
[17] ニーチェ、原佑訳『権力への意志』下、ニーチェ全集13、ちくま学芸文庫、一九九三年、四八九頁。なおサルトルの『家の馬鹿息子』によれば、かかる「高所」の観点をフローベールもまたその「否定的無限」の概念によってみずからの観点としたのである。参照、拙著『サルトルの誕生――ニーチェの継承者にして対決者』補論Ⅱ(藤原書店、二〇一二年)。
[18] 参照、拙著『大地と十字架――探偵Lのニーチェ調書』思潮社、二〇一三年
[19]参照、拙著『聖書論Ⅱ 聖書批判史考』・第三章・「湯浅泰雄のユング論」節と湯浅に関する補注「湯浅泰雄への批判」
[20] 福永光司訳『老子』上、朝日文庫、一九七八年、六七~六九頁
[21] 同前六九頁
[22] 同前、七〇~七一頁
[23] ニーチェ『偶像の黄昏 反キリスト者』、六七~六八頁
[24] 同前六八頁
[25] 参照、『聖書論Ⅱ 聖書批判史考』・第四章「オットーの『聖なるもの』を読む」
[26] 『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』
[27] マルティン・ブーバーはこの問題状況を適確にもこう把握した。「宗教ほど神の顔をわれわれからさえぎってしまうことのできるものは他に例がない」と同様「道徳ほど共に在る人間の顔をわれわれからさえぎってしまうことのできるものはない」。(田口義弘訳『対話的原理』、ブーバー著作集1、みすず書房、一九六七年、二一九頁)
[28] ヴェーバー『ヒンドゥー教と仏教』、深沢宏訳、東洋経済新報社、二〇〇二年、三五六~三五七頁の注(17)。同書を「『西洋の』の需要に適応しているとはいえ、特によく書かれた」と評し、大乗仏教の理解において自分は「しばしば参照することにする」と明記している。なお、同書の第三部「アジアの宗派的宗教類型と救世主的宗教類型」だけを一九七〇年に勁草書房が『アジア宗教の基本的性格』と題して翻訳出版(池田昭、山折哲雄、日隈威徳の共訳)している。
[29] 同前、三五二頁。
[30] 東洋経済新報社版の『ヒンドゥー教と仏教』の訳者の深沢宏の解説にも、『アジア宗教の基本的性格』の訳者たち(池田昭、山折哲雄、日隈威徳)の解説にも、一切言及はない。
[31] A la rencontre du bouddhisme, sous la direction de Joseph Dore,
Publication de l ‘Academie internationale de Sciences religieuses, 2000,
S.127-S. 162
[32] ibd.S.128
[33] ibd.S.128
[34] ibd.S.128
[35] ibd.S.128
[36] ibd.S.156
[37] 加藤周一の指摘。
[38] 鈴木大拙『仏教の大意』一二四~一二五頁
[39] 鈴木大拙『神秘主義――キリスト教と仏教』九頁
[40] 同前、一九三~一九四頁
[41] 同前、一九四~一九五頁