ジョン・スチュアート・ミルについて
19世紀後半、イギリスの代表的な哲学者で経済学者。『自由論』を書いて、自由主義(リベラリズム)の代表的思想家となった。少数意見・異端者の積極的擁護こそが自由民主主義の真髄であると主張。民主主義とはたんなる多数決主義のことではない。多数派による少数意見・異端者の積極的擁護によって、多数派が多数派による少数派の抑圧に走らないよう自己自身をつねに相対化し、自己批判する機能を自らに備えてこそ、真の自由民主主義である、と主張。また彼は『女性の解放』を書いて先駆的な女性解放論者となった。
アメリカで「彼はリベラルだ」というと、少数意見の擁護派だ、異端派だという意味が込められている場合が多い。
『自由論』(岩波文庫)から
おのれの性格ではなくて、他人の伝統や習慣が行為を規律するものとなっているところでは、人間の幸福の主要なる構成要素の一つが欠けているし、また実に個人と社会との進歩の最も重要な構成要素が欠けているのである。(岩波文庫、p115)
個性の自由な発展が、幸福の主要な要素の一つであるということが、痛感されているならば、また、それは文明、知識、教育、教養というような言葉によって意味されている一切のものと同位の要素であるにとどまらず、それ自体がこれらのすべてのものの必須の要素であり条件である、ということが痛感されているならば、自由の軽視される危険は存在しない…(略)…しかるに不幸なことには、一般の考え方によると、個人の自発性が固有の価値をもち、あるいはそれ自体のゆえに何らかの尊敬に値するものであるとは、ほとんど認められていないのである。(p115〜116)
次のようなフンボルトの思想こそが広まってほしい…(略)…「人間の…(略)…真正なる目的は、人間の諸能力を最高度にまた最も調和的に発展せしめて、完全にして矛盾なき一つの全体たらしめることにある。…(略)…そして、この目的のためには、二つの条件、すなわち、「自由と状況の多様性」が必要である。これら両者の結合によって「個性の活力とさまざまなる相違とを」生じ、後の二者はさらに和合して「独創力」となるのである。(p116〜117)
強力な衝動は、適当に均衡がとられていない場合にのみ危険なのである。すなわち、或る一組の目的と性向とが強力となり、これらのものと共に存在せねばならないはずの他の目的と性向とが、薄弱不活な状態に留まっているときにのみ、それは危険なのである。…(略)…或る人の欲望と感情とが、他の人のそれよりも一層強力であり多方面であるということは、彼が人間性の素材をより多くもっていること、したがって恐らくはより多くの悪をなしうるであろうが、より多くの善をなしうることも確実である。(p121)
知覚、判断、識別する感情、心的活動、さらに進んで道徳的選択に至る人間的諸機能は、自ら選択をおこなうことによってのみ練磨されるのである。何事かをなすにあったって、慣習であるがゆえに、これをなすという人は何らの選択をもおこなわない。…(略)…知的および道徳的諸能力は、筋肉の力と同様に、使用することによってのみ改善されるのである。…(略)…自分の生活の計画を(みずから選ばず)、世間または自分の属する世間の一部に選んでもらう者は、猿のような模倣の能力以外にはいかなる能力をも必要としない。自分の計画を自ら選択する者こそ、彼のすべての能力を活用するのである。p118〜119
独自の欲望と衝動をもっている人物、すなわち、その欲望と衝動とが彼の独自の天性の表現であり、かつ、その独自の天性が独自の教養によって発達しまた修正されたものであるような人物こそ――性格をもっている人物と呼ばれうるのである。p122