学生から今流行のゲーム「モンスター・ハンター」について教えてもらった。覗かせてもらった。
主人公のハンターが怪物狩りに出かけ、怪物と戦うゲームだが、ゲームのこの目的は実は手段で、ゲームの隠された真の目的は、ハンターに投影されたゲーム者のいわば「自己増殖・自己拡張・自己形成」の欲望の想像的充足にあると見た。
このゲームの画期性は、ゲーム開始にあたって、ゲーム者がゲーム機が提供する驚くほど多様多種の選択肢のなかからチョイスし、主人公のハンターを自分好みに画像化するところから始まる点にある。顔つき、髪の色とスタイル、表情、肌の色の濃淡、等々。もちろん衣裳、具備する武器、ブーツや手袋、何でもかんでも、選択肢からチョイスしなければならない。
主人公は既に作られ、与えられるのではなく、まずゲーム者がそれを作る=創造しなければならない。そしてゲームの展開はつねにゲーム者をハンターを創り続けなければならない位置に置くように仕組まれている。もちろん、この創造はゲームによって実はあらかじめその枠組みが決定されている。しかし、だからといってそこに創造の快楽がないわけではない。否、むしろ提供される多種多様な選択肢は、創造の快楽をゲーム者が安易に獲得しうるための条件だといいうる。
先の感想が湧いたのは、その驚くべき多様さと当のゲーム者(学生)の実生活上のパターンの貧困さ・画一性・変化のなさ・既定性、等々とが実に好対照だからだ。
まさにこのギャップ・亀裂が想像力の快楽欲望を産む。「着せ替え人形的」自己変身欲望のPC=CG技術の革命的革新による圧倒的なゲーマ化が起きるという事態。これに僕たちは直面させられているのだ、と痛感。
現代想像力論の一つのモチーフを得た。
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