小思考断章を、小思考断章TとUに分かち、Uのほうに「暴力論二題」として、2002年に書いた「暴力にいかにむきあうか」と、2005年に書いた「死の飛び地としての暴力」という小論二つを載せた。この二つはかなり内容が重なっているが、そのことも含めて、僕の暴力論の関心がどの辺の問題に焦点を当てているかをよく示していると、振り返って思う。最近出版した『村上春樹の哲学ワールド』の「あとがき」に《想像的人間》と暴力というテーマこそ、僕の終始一貫して変わらぬテーマだと書いたが、その事情が剥き出しに出ているのがこの二編だともいえる。
またこの二編には「死の飛び地」という言葉が頻出するが、この言葉をまず思いついたのはチェルノブイリの問題を考えていた時のことだ。それ以来、この言葉は僕の大事ないわば方法論的キーワードの一つとなった。今回のフクシマのことを考えるときにも、おそらく僕はこのキーワードを一つの懐中電灯にして、問題を考えていくに違いない。
先の8日に大学での授業で「特別ライブ授業」と銘打ったおこなった福森慶之介さんとシーガン山下さんのライブが学生の心をとらえた、その捉えぶりは凄かった。そのうち、彼らの感想文からいくつかこのホームページに載せるつもり。
部屋「記憶瞬間」に何枚か掲載したライブの時の学生の真剣な表情の意味するものがなんなのかを、それら感想文はよく伝えてくれる。
こうご期待!
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