私にとって高橋和巳との出会いとは、彼の生きた《宗教と文学の格闘的契り》との出会いにほかならなかった。この出会いは、私がこのほぼ半世紀取り組んできた哲学・文学・宗教の研究の軌跡と期せずして奇しき重なり合いと対話を取り結ぶものとなった。
私は学生時代を早稲田大学・政経学部で過ごし、卒業するや一年独学で準備を整え、早稲田大学・文学研究科哲学専攻の大学院生となった。
大学院での修士論文のテーマはヘーゲルの法哲学の考察であったが、それは一種のアカデミズム用の仮面であった。本当にやりたかったのは、実は初期マルクス研究であり、初期におけるマルクスにおける共産主義革命のヴィジョンがヘーゲル法哲学のどのような換骨奪胎の成果として形成されてくるのか、それを追思考することであった。
だが、そうこうしているうちに、私はサルトルに大きな関心を抱くようになり、フランス語を独学しつつ、サルトルにおける実存分析学的思索が彼のマルクス主義摂取とどのように結合するのか、それを掴みたいと思うに至った。今にして思う。そのようなサルトルへの自分の関心は、高橋における《文学的人間と政治的人間との対話劇》というテーマに実にぴったり重なるものでもあった、と。だが、その時点でも私は高橋を読んでいなかった。
だが世に自分が書いた哲学専門研究書として最初に問うた著書は、一九九六年に出版した『〈受難した子供〉の眼差しとサルトル』(御茶の水書房)であった。同書をとおして、私はサルトルのジャン・ジュネ論である『聖ジュネ』と『弁証法的理性批判』における暴力論との内的な結合関係を明らかにしようと試みた。今振り返るなら、期せずしてこの作業は、高橋における『捨子物語』と『憂鬱なる党派』や『日本の悪霊』とのあいだに生じている内在的関係を抉り出そうとする本書の分析作業、これといわば対の関係を結ぶものであったといい得る。
同書で、私はサルトルのジュネに対する実存的精神分析に準拠して、ジュネを《想像的人間》と名づけたが、この点で高橋を持ち出せば、ジュネとは娼婦の実母によって養護院にまさに捨子され、その後キリスト教の信仰熱き篤農家に養子として引き取られた人物であった。また『捨子物語』でのかの祈祷師の予言、「彼はその生のはじめにおいて、すでにひとたび見棄てられねばならないのだから。(中略)辛うじて幻想のなかに憩いを見出だしつつ歩まねばならぬ」を地で往く人物であった。すなわち、自分の妄想の世界に居住することを決意することによって辛うじて自殺を免れ得た、そうした人物、「架空の国こそが住むに値する唯一の国」と宣言してはばからぬ人物であった。そして、彼がそのような《想像的人間》となった実存的淵源は、まさに彼の幼少期における受難、捨子トラウマにあった。
この拙著のあとに、私はサルトルについて『実存と暴力』(御茶の水書房、二〇〇四年)を書いた。私はとりわけ彼の暴力論に惹きつけられたからだ。そのあと、私はサルトルの思想形成の淵源を探ろうと、研究対象をニーチェに移した。そのニーチェ研究を通して、私はまさに《想像的人間》の諸モチーフをそこに再発見すると同時に、サルトルの暴力論の源泉がニーチェのルサンチマン論にあるにちがいないとの確信を得た。
この本書の「総序」の第六節に述べた如く、私は、本書で「前衛者意識‐怨恨的復讐心‐権力欲望の暗き三位一体」という視点を立て、それを革命主義者の心理的暗部――「マニ教主義的善悪二元論」が駆動する粛正主義の心性――を照らし出すサーチライトとした。
私は、かかる視点を左翼学生運動家に対する『悲の器』の典膳がなす観察のなかに発見したわけであるが、かかる発見を為すための私の側での準備、それは右に触れた私のサルトルならびにニーチェの研究によって私のなかに培かわれたものであった。
高橋を読み通し、右の視点が彼を『悲の器』以来死の直前の『暗黒への出発』に至るまで一貫して導くことを確信した。
高橋の言う「文学的人間」の視点は、私に言わせれば実存的精神分析という視点と切り離しがたく一つに結ばれている。この問題側面は、私に前述のサルトルに関する著書のあと『〈想像的人間〉としてのニーチェ――実存分析的読解』(晃洋書房、二〇〇五年)や後の『大地と十字架』(思潮社、二〇一三年)を書かせることになった。二〇一〇年、私は、前書で養った観点を三島由紀夫分析に応用したいという抱負を抱くに至り、『三島由紀夫におけるニーチェ――サルトル実存的精神分析を視点として』(思潮社)を書くに至った。
だから、本書で取り上げた、高橋が三島の自決の報に接して書いたくだんの一文、それを読んだとき、そのいわんとする「その仮面の奥に秘めた一切の悲劇」の何たるかは既に私には明瞭であった。
その後、私はあらためてサルトルとニーチェの深き関係を探る『サルトルの誕生――ニーチェの継承者にして対決者』(藤原書店)を二〇一二年に出版した後、彼ら二人を通路にして取り組んできた問題のそもそもの宗教思想史的淵源を把握しようとキリスト教研究を開始した、そして、その成果に基づき二〇一一五年に『聖書論Ⅰ 妬みの神と憐れみの神』と『聖書論Ⅱ 聖書批判史考』(藤原書店)を出版し、次いでそれを基盤として、二〇一六年に『ドストエフスキーとキリスト教――イエス主義・大地信仰・社会主義』(藤原書店)を、また二〇一八年には『フロムと神秘主義』(藤原書店)を出版した。
この四冊の著作を共通して貫く重要な観点とは、イエスの「共苦」主義と正統ユダヤ教を駆動するヤハウエ的な「社会的ならびに政治的革命」主義(ヴェーバー)とのあいだに一個の決定的な断絶と対決を見る観点であった。私見によれば、かのヤハウエ主義的心性は限りなく「マニ教主義的善悪二元論」に傾くものであり、反対にかのイエスの「共苦」主義は、彼の「愛敵」と「裁くな、赦せ」の言葉が象徴するように、まさに「マニ教主義的善悪二元論」的心性を批判し、それの克服こそを人間の魂の真の救済にとって決定的な事柄とみなす観点の樹立にほかならなかった。またあとの二書は、かかるテーマに関連するだけでなく、サルトルとニーチェを通して私のなかに培った実存精神分析的視点を、一方ではドストエフスキー文学にまで遡り、他方ではフロムを通してその現代化の可能性を探ることで、いっそう深めようとするものであった。
高橋に関係づけるならば、かかるヤハウエ主義とイエス主義との葛藤関係は、かの「ひのもと救霊会」運動の「女性的宗教」の諸契機と「男性的宗教」の諸契機との葛藤にぴったりと重なるものである。私見によれば、高橋には両者の対立性についてまだ認識の曖昧さが残っているのだが、しかし本質的基調においては、彼もまたイエスの共苦主義をくだんの怨恨的復讐欲望――「正義」を必須の仮面とする――との対決の場に引き入れるのだ。また実存的精神分析の視点は、高橋の掲げる「文学的人間」の視点を理解するうえで、まさに彼を捉えて離さぬ「墜落感」の問題を理解するうえで決定的な問題の環をなすこと、これはいうまでもない。
かくて本書が示すように、私は、これらの問題の環を、高橋における共苦論と彼の《文学的人間と政治的人間との対話劇》論とを連結する問題の環、いいかえれば、彼の言う「二十世紀後半の最大の問題」たる革命運動の内的暗部を切開するメスとして使用したのだ。
つまり、高橋文学の総体は、奇しくも私の約二十年近くの研究蓄積の総力を挙げた分析を真正面から要請するものとなったのだ。
彼が日本の学生と最も熱き関係を結んだ時期、私は彼をまったく素通りした。だが、その時からほぼ半世紀たった今、私は彼との全面的な出会いに押し出されることとなった。これもまた縁というものであろう。
私と高橋は、それぞれ相まみえることなき道を別々に歩んできたのだが(もっとも彼自身は既に半世紀前に早逝したにせよ)、ほとんど同じ道を歩んできたことが今明かされたということとなった。私にとっては。
最後に、この私にとっての貴重きわまる思索的証言の機会を、これまで私の著作活動に惜しみなき援助を与えてくださってこられた藤原書店社長、藤原良夫氏が、本書の出版という形で、いわば再び三度与えてくださったことに、心からの謝意を表したい。
567頁
6200円 +税
総序
一 宗教と文学の格闘的契り
四 廃墟に次ぐ廃墟たる「二十世紀」、あるいは廃墟となった「革命」
六 文学的人間と政治的人間との対話劇
第Ⅰ部 「悲の器」としての人間
――『悲の器』と『捨子物語』との往還が告げるもの
第一章 『悲の器』が示す高橋の人間学
「悲の器」としての人間「墜落感」と「心中の崖」
補注1石田瑞まろとの関連 補注*2 学生運動活動家についての典膳の観察
補注*4 ドストエフスキーの性欲論を貫く視点
補注*6 国雄に取り憑く「世界破滅」願望・「消滅妄想」について
第二章 高橋文学総体の源泉としての『捨子物語』
捨子と「運命」としての「孤独」――『捨子物語』について 典膳は如何なる意味で国雄の後継者なのか
なぜ典膳は「刑法」学者なのか?――「原罪」という主題
補注*7 高橋の実体験としての厄払い「捨子」儀式
第三章
第二十五章と第三十一章(静枝の手記)の問題
第四章
『悲の器』におけるキリスト教問題
補注*10 父なる神を「アッバ」と常にイエスは呼んだことをめぐって
補注*11原始キリスト教団の「邪宗」性についての最晩年の高橋の認識
結章 『悲の器』最終章をどう読むか?
補論集
補論1
高橋文学における宗教をめぐる問題布置ーー『邪宗門』と『捨子物語』とのあいだ
私の視点「二つの救済思想のあいだ」
補論2《想像的人間》の小説方法論
高橋とサルトル
補論3 高橋における「知識人・インテリゲンチャ」表象の特質
補注*12 遠丸立の『邪宗門』論への疑義
第Ⅱ部 救済と革命 ――『憂鬱なる党派』・『我が心は石にあらず』・『邪宗門』・『堕落』・『散華』・『日本の悪霊』、そして『我が解体』以降
はじめに
第一章 『憂鬱なる党派』ーー二度目の敗北を抱えて
一九五二年経験と『憂鬱なる党派』 『憂鬱なる党派』における「原罪」と「共苦」 高橋にとっての「戦後」の意味
文学的人間と政治的人間の対話劇
補注*1
背景となる経験 補注*2 高橋の証言ーー「文学哲学研究会」に関わって 補注*3 〈観念〉という語に込められた高橋的ニュアンス 補注*8『邪宗門』の劈頭を飾る開祖まさの誕生史
付論 「自己否定」論のその後の展開
「自己否定」をめぐる最晩年の問題提起 「管理・操縦社会」における「自己否定」視点の再展開 講演「状況と文学」における想像力論
補注*9「自己否定」の視点に関する小阪修平の指摘
『憂鬱なる党派』の藤堂と『日本の悪霊』の落合刑事
《文学的人間と政治的人間との対話劇》という視点から見た『堕落』
『散華』
『邪宗門』における《日本的なるもの》
安丸良夫『出口なお 女性教祖と救済思想』(岩波現代文庫)を一つの参照軸とするなら
補注*10 大拙とヴェーバーの言葉のいくつか 補注*
11 高橋文学の「思考実験」的性格について
第四章 『我が心は石にあらず』における「科学的無政府主義」というヴィジョン
第五章 なぜ『日本の悪霊』なのか?
「ひとつのサイクル」の完了としての『日本の悪霊』 正義と真実の排中律
テロリズムと怨恨心――《前衛者意識―怨恨的復讐心―権力慾望の暗き三位一体》
補注*12 『悪霊』と「共犯性」、そして植垣康博の証言
『日本の悪霊』の主題とは何か?
第六章
解体と創造ーー再び「自己否定」の論理について
「管理・操縦社会」における「自己否定」視点の再開
「主要打撃論」と「無私の党派性」ーー内ゲバ正当化の論理と倫理 「軍団化」か「地域パルチザン化」か
補注*15「正義の名による殺人」という問題の環についてーー立花隆の論点 補注16 提案の土台をなす高橋自身の経験
補注*17「パルチザン化」概念を高橋はどこからひきだしたのか?
批判的参照軸1 小嵐九八郎
批判的参照軸2 植垣康博『兵士としての連合赤軍』・『連合赤軍27年目の証言』(彩流社刊)
植垣と永田洋子
批判的参照軸3 永田洋子の四著作(『十六の墓標』・『私 生きてます』・『続十六の墓標』・『獄中からの手紙』、彩流社』
『十六の墓標』における永田の問題記述構造と基本的テーマ
「連赤総括の闘いの中での最大の試練」としての塩見孝也との訣別
永田の高橋論の孕む問題性
補注*19 植垣証言への永田洋子の高い評価、ならびにその証言に含まれる武装ゲリラ戦の肯定論
補注*21 坂東国男『永田洋子さんへの手紙』との応答について
批判的参照軸4 川上徹・大久保一志『素描・1960年代』(同時代社)
批判的参照軸5 絓秀実『革命的な、あまりに革命的な
「1968年の革命」史論』(増補版、ちくま学芸文庫) 高橋に対する絓の低評価をめぐって 絓と高橋の共通点
「全共闘運動」の「六八年革命」性の十全なる体現者は「党派」か「ノンセクト・ラジカル」か?
――『革命的な、あまりにも……』における問題提示の解りにくさ
絓の内ゲバ論、その問題性1
第Ⅲ部 女たちの星座
はじめに――起点としての『捨子物語』と『邪宗門』
第一章 『捨子物語』における女たち
《捨子性》とキリスト教的宗教性との確執
美之に寄せて――『捨子物語』における神へのイワン・カラマーゾフ的呪詛
第二章 『邪宗門』における「女性的宗教」の担う問題性
女性的宗教の諸契機
第三章 概括の試み
共苦の凝集点としての妹――『我が心は石にあらず』の妹千世
制度的存在の域を超えることなき妻