第二章 拾った手紙

 

 

カラスの群の黒帽子

円形劇場にかぶさっている

ちがうよ! それは巨大新興宗教教団の円形ドーム

彼らの本部会館だったはずだよ!

ぼくは一瞬眼をつむる。

さかしまな光の充溢、白光のなかに建物の輪郭は消し飛び

踊り場も、廊下も、階段も、教室の窓も、屋根も、下駄箱も消え

過剰露出の白の砂地に

ただ黒いひん曲がった骨のような、破れた風呂敷のような

輪郭と断片ばかりが散乱していた

おお、爆破されたこうもり傘工場!

 

人間のたえまなく喋りかける声の奔流がやってくる

カメラ・アイが近づいてゆく

フェリーニの映画「8・12のようだ

なんというお喋り好きなイタリア人め!

社交界のパーティと思ったのは

群れなす中学生たちの切れ目なしのお喋り

その真ん中に突立っている

ぼくが!

引き裂かれ、ひしゃげて折り重なり、あたりかまわず散乱する黒いこうもり傘たち

制服の中学生、群れて 群れて 群れて

 

なあ、君! 首都では、中学三年生になると、業者主催の高校受験のための模擬試験がしばしばおこなわれた。日曜日に、何校もの中学生が一カ所に集められた。宇宙のように巨大な円形のドームの会場だった。教団は業者にその日だけ貸与したのだ、円形ドーム本部会館を。「会場」が必要だったのさ。千を超える、万を超える、全首都の中学三年生を一堂に集める、少なくともその半分は、三分の一は、五分の一は、十分の一は、…それを集める「会場」が。そうであってこそ、「偏差値」が可能となる。巨大な母胎の上にのみ客観性の権威が立つ。そうでなかったら模擬試験という商品は誕生しないのさ。だから、君は知ってるかい? この模擬試験は「会場テスト」と呼ばれたってことを。試験が終わって次の試験までの休み時間、会場の廊下、階段、テラス、踊り場は行き場のない黒い学生服の群で埋め尽くされた。
俺はその巨大なカラスの群のような黒い塊のなかにいた。俺は醜い会話に包まれた自分を目撃した。話すことといったら終わった試験のことだけだった。まるで値踏みするように中学生たちは喋っていた。高笑いの脇には卑屈な沈黙やいじけた不安、追従が身を屈めていた。相手を伺う視線や聞き耳を立てる耳があるばかりだった。
俺は独り天を仰いでいた。俺はその自分を目撃したんだ。俺は屈辱の円形劇場のなかで青い無辺の空を見ていた。
なあ、君!
高校に入ったら制服は着ないと俺は誓ったんだよ。黒いコウモリ傘どもとは訣別したんだ。そのときのことなんだ。

  

 ブンがいましがた読み終わった一節だった。ここ数日彼は偶然拾った書簡集の片割れを読むのに夢中だった。
 さっきアイズと別れた瞬間、この拾い物について彼女に手紙を書こうという決心がついた。すごく長いやつだ。それはゆうに一つの短編小説ほどの長さになるだろう。そこにはかなり長い引用がなされるはずだからだ。彼はその書簡集のとくに気に入った部分をまずコピーし、そこから引用したい部分を切り抜くだろう。しかも、その切り抜いた引用コピーをアイズに宛てた手紙の冒頭に貼り、そのあとから彼自身の考察が始まれば、手紙は手紙に似つかわしくない膨大な文章を抱えたものになるはずだ。
 だが、手紙を書くことが、この数章が彼にもたらした切れ切れのインスピレーションをある決定的なものにまで高めてくれるにちがいなかった。同時にそのことで彼はアイズにポケットから掴みだして、「ほら!」と差しだすガラス玉をもてるのだ。
 彼は自分の脳裏に書き上げられた分厚い手紙を幻視した。彼はそのヴィジョンにとらわれた。矢もたてもたまらず書くことを始めたくなった。彼が自分の想念をノートに書きつけるときはいつもそこへいくことにしていた喫茶店に向かった。盛り場の真ん中にある、小さなヨーロッパの王城を模した四階建ての大きな喫茶店。昔のなれの果ての名曲喫茶。まだこの国がいまでは信じがたいほどに貧しく、クラシック音楽好きの学生たちが自分のステレオもレコードももてなかった遠い遠い昔の記憶の残り滓。たいていの場合、その四階はがら空きだった。コーヒー一杯で二時間も三時間も独りノートに向かうことができた。そうやって集中していると必ず何かを得ることができた。一個の新しく生成した観念を。いつものように、彼は小さな飾りの丸窓のそばの座席に身を沈めた。

  
 
 家に帰る電車のなかでアイズは考え始めた。昨晩から読みふけっていた本のいくつかの節がふいに甦った。それは、大学の演劇科で舞踊の教師をしているウーナが貸してくれた、舞踊の練習技法についてアメリカ人の舞踏家が書いた本だった。アイズがウーナに舞踊について知りたいというと、彼女は「知りたければ、するしかないね」と素っ気なかった。それでもウーナはとりあえずといってその本を貸してくれた。
 舞踊に取り組む者が最初におこなう練習で中心的な役割を果たすのは即興であった。それでこの本の最初の章は即興論として始まっていた。奇しくも、即興ということは以前からブンとの話の中心に置かれたものでもあった。

 アイズは即興ということを「料理」をメタファーとして考えることが好きだった。それは、彼女が料理が好きだったからだ。料理は、ブンがつねづねアイズという人間を定義するものとして使う「プレゼント」という言葉を借りるなら、それは彼女にとってはつねにプレゼントであった。料理する楽しさはプレゼントする楽しさであった。そしてアイズのなかではこの贈与の喜びは即興の喜びと切り離しがたく結びついていた。あげるということには放つという喜びがあった。そして放つという喜びは即興ということの本質のなかにもあった。放つことなしに即興はなかった。
 そして即興は「瞬時に」ということを要求した。言葉を換えていえば、たとえ外から見れば小さなものであっても、それは爆発を意味した。音であれ、言葉であれ、材料であれ、香辛料であれ、物であれ、人間であれ、自分のもとに飛び込んできたものに対して瞬時に或る感情と直観が爆ぜ、投げ返す。それが放つということだった。直情径行を地でゆくアイズにとって停滞ということぐらい退屈なことはなかった。スピードがつねに問題だった。一瞬のうちに爆発し、投げ返す。
 ブンはいつもからかう。おまえがプレゼントするときは、どんなときでもそのプレゼントは大盤振る舞いの過剰包装紙に包まれる、と。アイズにいわせれば、それはプレゼントとは、たとえ小さなものであっても、一つの爆発だからだ。夜空に打ち上げられ爆ぜる花火はつねに彼女にとって感情のメタファーであった。つまり、プレゼントとは一つの花火なのだ。心が即興に踊って放つ喜びに溢れたとき、つまり爆ぜたとき、人はいちばん大きなプレゼントができる。アイズはそう考えた。
 しかし、実はこのアイズの観念には一つの逆説、反対の意味が隠れていた。花火のメタファーは爆発のメタファーであると同時に消滅のメタファーでもあった。爆発は消滅と一つになっていた。「放つ」は、実は「捨てる」と一つになっていた。「爆発は消滅に終わる」のではなくて、「消滅させるために爆発させる」という隠れた意味が、「放つ」のは実は「捨てる」ためだという秘密がそこには潜んでいた。アイズは自分の感情の過剰性に舞い上がるや、それを密かに憎んだ。爆発させることは、素寒貧に戻ることであった。相手の手元に贈与された大きな感情の花火は、それをプレゼントした当の彼女のもとではもう消滅していた。彼女自身は空虚に立ち戻っていた。そこには一種の荒廃さえあった。痛みがあった。
 
ブンはいつも「お前は詐欺師だ」とアイズをからかった。
 彼女は次の一節をその本のなかに見つけたとき、ウーナに借りた本であることを忘れて、後で何度も読み返えし、そこからもっと深い自分の即興の思想を創りだそうと、思わずその頁の縁を折ってしまった。著者のこの程度の観察に対して、自分はもっと本質的な即興の思想を産みだすことができると感じたのだ。その一節は著者が彼の尊敬する或る有名な演劇家の本から引用した一節であった。そこにはこうあった。

演出というのは料理に似たところがある。料理人はお客が来る前に、すべての材料を細かくきざんで十分な準備をする。お客が来ると、それをフライパンでいれてさっと炒める。味は料理人が作るのではなく、材料それ自身が他の材料と混ざり合って、熱いフライパンと油の中で作っていくのだ。だから料理人にとっては、味は出たとこ勝負。いくらはじめから計画しても、材料が溶け合ってくれなければどうしようもない。十分な準備、それがあったうえで、しかし、味は料理人が作るのではない。 

アイズは考え始める。
 もちろんそうだわ。そこにお客が来る、この『来る』ということがそこに<>を開く。<>は初めてそこで開く。どんなお客が来るか料理人は知らない。いや仮によく知っている馴染みのお客でも、今日のこの日、そのお客がどんな心をもった客として来るかはその場になってみなければわからない。その客に出会って、その客の空気が自分のなかに何を産みだすのか、そのことも料理人はその場になってみなければわからないんだわ。
 歌おうとする歌、読もうとする詩を用意する。でも、それをどう歌うか、どう読むか、そもそも用意したそれを捨てることになるかもしれない、その最終地点はまだ決まっていない。お客とのあいだにどんな<>が開かれるのかも、相方の奏でる音がどんな音として飛び込んで来るかも、まだ決定されていない。お客と、そしてそれら用意されたさまざまな材料たちの出会い、ただこの出会いが実際に起きた瞬間にだけ、最終地点は決定される。 
 十分な準備は最後の一点でどうしようもなく切断されている。どうやっても準備できないものによって、それは切断されている。十分な準備がその努力の際果てでこの切断に出会ってる。「熱いフライパンと油」、それがこの切断の向こうから、この切断に橋を架けるものとしてやってくる。つまり、その橋が、お客が来て、初めてそこに誕生する<>なんだわ。たしかに、味は「材料それ自身が他の材料と混ざり合って」誕生する。でもそれは「熱いフライパンと油」のなかで。もちろん、そこに混ざり合うべき材料についての十分な準備がなければどうにもならない。十分な準備があってもどうにもならないけど、十分な準備がなければやっぱりどうにもならない。でも、「十分な準備」というものはあるのかしら。準備は準備なんだから、絶対に「十分」とはならないわよ。準備があってもどうにもならない、もう一個の「どうにもならない」があるはず。後は放つだけ、放ってまかせるだけ、もうあたしの所有物でもあんたの所有物でもなく、両方の手から放たれて、そこに誕生したもの、それを祝福することしか、あんたにもあたしにもできないよ!
 そういうとこまで自分を連れていって、放つ、そういうことなんだわ。そういうことまで、この一節はいってるかしら。そこまでいわなければ、即興と演劇と料理を重ね合わすことはできない。あたしはそう感じる。

 

アイズ!
 おまえにまず次の数節のコピーを示す。この数節を、それを含む数十頁の文章を、俺がどんな風に手に入れたかは、会ったときに話す。なぜ、俺がこの数節をおまえに送るのかの理由を、おまえは理解できるだろうか? それは、アイズ! について語っている手紙だからだ。まるで俺がおまえに書くはずの手紙のような。まず俺はそれを抜書きするようにコピーしておまえに示す。

  

今日、ぼくはアリの車でテヘランから砂漠を四〇キロ突っ走って、イランの最大の宗教都市でありペルシア絨毯の名高い産地の一つ、そしてなによりアリたちキアヌリ一族の故郷であるクムに着いた。テヘランに着き、五日間をアリの兄の家で過ごし、そのときから徐々にぼくのなかに蓄積され形を整えつつあった一つの印象が、今日、印象としてのいわば確立を果たした。それはぼくのイランでの「経験」へと高まったのだ。そのことは、君にも大いに関係がある。いや、正確にいえば<ぼくの君>に。である君に。だから、ぼくはそのことについて君に書きたい。

イラン人は眼を見つめあいながら話す。ぼくの経験を一言でいえばそのことに尽きてしまう。しかし、もちろんぼくが君にいま書きたいのは、その一言が孕む具体的な内容だ。そして、最後に、君のことだ。なぜって、その経験の具体的な相貌は最後にはぼくを君に導いたのだから。君への想念に。
君は砂漠の都市をまだ見たことがない。都市というものが一つの砦で、周辺世界と厳然として対立しているということの直観的理解は、いまでは砂漠をもつ諸国に行かなければ得ることのできないものかもしれない。イランでぼくが経験したことの一つはそれだ。
テヘランを出る、するとそこからは赤褐色の死の砂漠なのだ。いまは九月。アリによれば春はこの砂漠も緑の平原だったという。広大な麦畑が視界の限りを覆うのだという。そのときあなたを連れてきたかったという。だがいまは夏だ。盛りの夏の間に、しかも、しばしば六〇度を超える灼熱の夏の太陽の下で一切の地表の植物は枯れ果ててしまう。種は地中において自分を保存する。春のために。だが、地表の世界は砂漠と化す。途中、ぼくはアリと連れだって丘を歩いてみた。素晴らしいドライフラワーの丘だった。
このただ焼けた砂と岩石だけの世界が都市と都市を繋ぐ。イランでは都市とは砂漠という海に浮かぶ孤島だ。死の世界に点々と刻印された生の飛び地だ。都市とはまず第一に砂漠という<絶対他者>に対抗する人間の生の砦にほかならない。人間の生はただそこにおいて可能だ。イランでは水と樹々の緑は富の象徴だ。金持ちたちの屋敷には必ず水が音を立てて縁から溢れるプールがあり、噴水がおかれ、せせらぎがしつらえられる。周囲の目を遮る高い煉瓦塀の内側は樹木に満ちている。そこには鬱蒼とした果樹園が必ずある。そしてそれを可能とするのも水だ。水と緑、まさにそれこそが砂漠にはないものであり、その欠如こそが砂漠を定義するものであり、だからこの二つは生命と富の象徴なんだ。
砂漠における都市、これは恐らく都市の根源的メタファーだ。少なくとも或る一つの、しかし、巨大な広がりをもつ文明圏において。イスラムとユダヤ=キリスト教の文明圏、『旧約聖書』的文明圏においては。というのも、アリは日本に行ったときの印象を笑いながらこうぼくに語ったからだ。――テヘランから北京経由で東京に着き、東京にしばらく滞在してから鉄道にのって熱海という有名な温泉地へ行くことになった。そこは東京から数十キロ離れた地方の都市であると聞いていた。鉄道にのって東京を離れて小一時間がたった。自分は次第に訝しい気分に包まれた。風景は途切れることがない。連続したままだ。だが時間は、自分の理解ではもうとっくに東京を離れているはずなのだ。もうすぐ熱海へ着くという時間なのだ。都市というものは互いに砂漠によって隔絶していると思い込んでいたから、自分には日本の都市のあり方がわからなかったのだ、と。だから、世界には日本のような、むしろ連続性の時空が、なだらかな非切断的な移行が本質的である文明圏というものもあり、そこでの都市は砂漠型の都市とは別な時空性を形成しているにちがいない。
とはいえ、少なくともここでは、都市は砂漠という死の自然、この<絶対他者>に対抗する、絶大な反自然だ。それが都市の根源的定義だ。都市と文化は一つのものだ。この、自然との対立において。しかも、すぐさまこう付け加えるべきだ。この、対自然という根源的次元に、第二の人間にとってのもう一つの根源的次元が引き剥がしがたくかぶさり癒着する。つまり、社会と歴史という次元における<他者>への対抗という次元が。都市は、自然ならぬ、人間の侵略者に向かって同時に身構えている。
ぼくたちは、たいていの場合、暢気にイラン人をアラブ人と同一視する。中近東のイスラムを宗教とする人々と。ぼくだってそうだった。だが、イラン人の民族的アイデンティティーはアラブ民族への激しい憎悪によって支えられている。彼らにとって、アラブは劣等かつ未開な砂漠の遊牧民でしかない。だが、イラン民族は古代ギリシャ文明をすらはるかに上回った古代ペルシャ文明の創造者なのであり、人種的にもアジア人なのだ。アラブではないのだ。その栄光のイラン民族を侵略し、古代ペルシャ文明を産んだゾロアスター教をことごとく破壊し、代わりにイスラム教を押しつけ、ペルシャ語の言葉を次々と駆逐し、その代わりにアラブ語の語彙を押しつけた不倶戴天の敵、それがアラブなのだ。だから近代イランのナショナリズムは、ペルシャ語のなかからすべてのアラブ系語彙を駆逐する国語(ペルシャ語)浄化運動をもって始まる。<他者> 、その根源的経験は言語と宗教を異にし、侵略、破壊、強姦、虐殺の経験によって刻印された、その理解不可能性と敵対性との経験に発する。そこにも、死という契機が厳然として横たわる。<他者>の経験とは何よりもまず死の脅威の経験、絶対的切断性の経験であるはずだ。アリの経験した日本とはその風景の連続性においてばかりか、人間と人間との関係の非切断性においても別な文明圏として把握されるべきなんだろうか?
ああ、君、またぼくの話はそれだした。
その砂漠を渡って、恐るべき<他者>の地帯を越えて、ぼくはアリとクムへ、彼の故郷、彼の都市、彼の同胞のもとへとやってきたのだ。はるかにテヘランを後にして、いまや砂漠の果てにクムが浮かび上がる。アリがぼくにいう。高校の同級生に会ってゆきたい。彼は塗料販売店をやっている、悪いけど、少しつきあってくれ。車がクムに入り、その友人の店に横付けする。アリはずかずかと店に入り、彼と激しく抱きあう。
君に見せたかった。二人がどんな風に話すのかを。彼らは小さなテーブルに肘をつき、友人が奥から出してきた缶コーラを時々口に含みながら、眼を見つめあいながら、相手の眼の底を覗き込むようにして、話すのだ。互いの鼻先に互いの顔を据えて。ぼくはそれを脇から見ていた。会話の二つのコンテキストが形成される。まず第一に、口から出た言葉が構成するコンテキスト。だが、もうひとつのコンテキストがそこにまるで陪音のように構成される。見つめあう眼が産みだすコンテキストだ。彼らの会話はつねに、そして意識的に、二重なのだ。あやふやな二重性ではない。誤解しないで欲しい。曖昧性という意味での二義性ではない。明確な、むしろ相互に批判的であり対話的な、いうならば「距離のパトス」に支えられた二重性さ。
こんな印象だ。「景気はどう」。「まあまあ」。「それはよかった」。しかし、そういう言葉のやりとりに、いわば眼による陪音が付き従う。「本当か、俺は心配してるぞ、他のやつから聞いた、遠慮するな、おまえも聞いてるだろ、俺は少し外国でいい目を見た、いつでも多少の工面はできるんだ」。「わかってる、わかってる、だが心配症はおまえの悪い癖、そんなことより、おまえこそどうなんだ、女房と別れるといっていたと、誰かから聞いたぞ」。そんな風なんだ。つまり彼らは二つの回路を使いながら、しかもそれを意識的に対立させることで、喋りあうんだ。だから印象としてはこうなんだ。言葉の強さと見つめあう眼の強さは正確に比例しあっていると。
イラン人の眼はビー玉みたいだ。茶色の眼もあれば、緑や碧眼もある。薄いグレーの眼もある。薄いグレーが混ざったようなブルーアイは、ぼくを見ているときも、まるでぼくを突き抜けて、何かあらぬ彼方を見ているようなのだ。まるでぼくを見ていないように、ぼくを見ている。しかしぼくが彼らの脇にいて彼らを見ていると、彼らはひどく見つめあっている。彼らは、あのぼくを見つめる、透視するようなガラス玉の眼で見つめあっているのだろうか? 相手の眼の底を覗くように見るためには、あのようなガラス玉のような眼が必要なのだろうか?
この二人の男友達の様子を見ていて、ぼくはテヘランを立ち去るときアリの兄の家で見た、その兄とたまたま寄った彼ら兄弟の父との別れの挨拶の場面を思い出していた。彼らもまた、見つめあいながら別れの挨拶を交わしていたのだ。そこにはユーモアと愛情の絶妙な交換があった。眼のコンテキストはつねに言葉のコンテキストの批判者や訂正者や嘲笑者としての位置を、あるいは優雅な冗談屋の位置を獲得していた。たとえていえば、言葉で「俺はもう田舎に引っ込む」ということは、同時に眼で「これから屋敷の大改造に取りかかる、おまえも俺に負けないようにしろ、最後の大事業の余力はいつも俺は自分に残してあるぞ」ということであり、「わかった、まかせた」ということは、「おまえはいま俺の試金石の上にいる」ということなのだ。あるいは、「もう来年までこない」ということは「明日にでも母さんと俺が住むおまえの故郷に子供を連れてやってこい」ということなのだ。彼らは見つめ続ける、底の底まで見通そうとするかのように。微笑み続けながら。
ぼくのなかで、この二つの印象は結合して第三の印象に遡及した。それはぼくが抱いた最初の印象。テヘランの家でテレビを見ていたときに、偶然子供を主題にしたドキュメント番組を見たのだ。イスラム革命後のイランのテレビでは、女が出演する歌舞音曲の番組は禁止されている。出演するのは男ばかりだ。歌謡番組もあるにはあるが、歌うのは重たい口ひげを生やした堂々たる中年の男性歌手と決まっていて、歌もイスラム革命の歌か宗教歌と決まっている。クイズ番組も男たちだけのクイズ番組だ。そのなかで、イランの子供たちをテーマにした、明らかに教育ドキュメント風の番組があった。何か黒々とした印象の、退屈でお仕着せがましいイランのテレビのなかで、子供たちの表情やその姿の小さな優しさは新鮮だった。実際それは高い水準の映像だった。ほとんど詩的だった。才能ある映画人が作ったものにちがいなかった。
ぼくはこんな話も思い出した、なぜイラン映画の現代の俊英キアロスタミの秀作において主人公はつねに子供なのか。それは、女性にチャドル着用を義務づけたイスラム革命が男女の恋愛をテーマに取りあげることを不可能にしたからだ、と。かくて芸術家のエネルギーは子供に集中せざるをえなかったのだと。
だが、この「説明」の是非はこの際どうでもいい。
君に伝えたいのは、イラン人の美意識は眼に集中しているということをぼくは直観したということだ。カメラはひたすらテヘランの街角の子供たちの眼を撮ってゆくのだ。沈黙のなか。音楽は流れていたかもしれないが、覚えていない。印象は、深い沈黙のなかでひたすらに子供の目を見つめていくというものだ。相当の時間が流れた。カメラは子供たちの眼を見つめ、そして子供たちはカメラを見つめ返す。もうそれだけで十分だったはずだ。おそらく。イランの子供がどんな苦痛を抱え、したがって親や良心的教師がどんな苦痛を抱えているかは、語られるまでもなく了解されていたのではなかったか。この革命の歳月、混乱、そしてイラン・イラク戦争のなかで。同時に、そのことは語ることを許されないことでもあったのだ。もし、それが「イスラム革命」の利害を少しでも損なう危険があるならば、決して語ることのできないことだったのだ。現にアリの兄はいまでも地下に潜ったイラン共産党の生き残りのメンバーだが、彼の同志はホメイニ派の下した大弾圧のなかで革命警備隊によって一晩に数百人が即決処刑されたとすらいわれている。ここには「語りえぬこと」の巨大な堆積、鬱屈、痛みがある。成しうる最大限のことは、見つめることであり、見つめあうことであった。それは二重の会話を必要とする者の特権だった。ただその必要だけがあの深い眼を生むのだ。

今日、クムの塗料販売店でこの三つの場面がぼくのなかでぴったり重なった。少なくとも、今、イラン人はぼくたちより素敵だ。彼らはを生きている。
君こそ、この眼だ。生きてる眼だ。だから、ぼくはまっさきにこの今日の出来事を君に伝える。

アイズ!こんな風に手紙は始まってるんだ。 もう一節だけコピーの切り抜きを送ろう。
 今度はこの男がこの手紙を送った恋人の眼について書いてる部分だ。俺は思い出した。昔テレビで見たシャンソン歌手のグレコのドキュメントのなかで、彼女がこういっていたのを。「エロティシズムとは、私にとって、眼で触れることです」と。  

君と話している。すると突然ぼくは気づく。自分が、君の眼を見るために話しているのだということを。話すために見るのではなく、見るために話している。だから、ふと気づくと言葉を繋ぐことを忘れている。君の眼を見る快楽に我を忘れている。それは恐ろしい瞬間でもある。目眩に似た何かが、落下、吸引、失神、溺死、そんな風な何かが、そこへと連結してゆく何かがそこにはある。君は一瞬眼を伏せる。それでぼくは我に返る。沈黙のなかへと失速しかけた言葉を急いで引き上げる。ぼくは意識へと引っ返す。
君の眼はつねに羞恥を生きている。イラン人の眼の文化には、まだぼくはそれを見いだしてはいない。彼らは見つめあう。眼を伏せることをあたかも拒絶するように。まるで決闘者のように。
ぼくたちはそうではない。少なくとも君とぼくは。ぼくは見つめている。そしてむしろ、君は見つめられている。君の眼は極から極へと激しく移動する。君が眼を瞑る。すると君は信じがたいほど無力になる。悲しみに打ち倒された、置き去りにされた、一人の少女がそこにいる。
しかし、君が眼を開き、君が言葉を探そうとするとき、君は歯を食いしばって君の眼を獲物を狙う獣の眼にする。君は完全に我を忘れている。ぼくが君の前にいて君を見つめていることを完全に忘れる。君の眼は次々と獲物を探す。銃口となって、次々と標的を探す。まるで強制収容所の監視塔のサーチライトのように。物陰に逃げ込もうとする一切のものを憎悪して、剥き出しにして、射殺しようと決意を固めているように。君は、君が是が非でも見つけださずにはおかないと決意したものに取り憑かれる。君はそれに所有されている。いったい君は何をそれほど憎んでいるのか。何をそれほど剥き出しにしたいのか。
だが、次の一瞬、君の眼はその憎悪から解き放たれる。君が、いわば君のオプセッションから取って返し、再びぼくを正面から見つめることができたとき、君は微笑む。ぼくを君の微笑みへと誘い出す君の笑い。悪戯な提案を秘めている誘惑者の微笑み。冒険者の微笑み。そのとき君の眼は無邪気にこの世界での冒険を信じている、悪戯を。そしてぼくが見返すと、君は再び羞恥のなかへと戻る。
そうした君の眼の激しい移り変わりは、ぼくに見つめることがもつもう一つの別な快楽を教える。ぼくは見つめる。君が君のなかに還り、独りになって君が君の憎悪を生き、しかし、その果てに、この世界に帰ってきたとき、「まず、あなたを見つけたのよ」とまるでそういうかのようにぼくに微笑みかけ、そしてぼくを行動へと急き立てるのを。今、この世界に息づき、無邪気な冒険者となって蘇生したその眼をもって。その一続きとなった回転運動を。それが君の眼だ。そのどの契機も欠かすことのできない眼、それが君の眼だ。
今日のクムでの経験は、最後にはぼくを別のところへと連れ出した。君のもとへと。

  

 ブンはこの書簡が送られた女を見てみたいと思った。そのように激しく変貌してゆく眼の表情、しかもそれが一つのサイクルをかたちづくっていて、その変貌のそれぞれの段階がすべて経巡られ遂に一つの円を結んだときにはじめて一つの眼となる、そのような眼。瞳のなかに彷徨する孤独の高さと陽気な無邪気さと無防備の痛ましさを宿している眼。それはアイズの眼だった。アイズの眼のような眼がほかにもあったとは! しかも、それをこんな風に言葉にして当の相手に書き送っている奴がいる。表現において俺よりもそれを見事に掴み、しかも俺よりもはるか遠くから大きくいっそう大きく掴むことをした奴がいる。イランの眼だって!
 俺のついぞまだ見たことのない風景、俺のまだついぞ見たことのない人間の眼、俺のこれまで一度も出会ったことのない人間の悲痛(ペイン)や陽気さ、そこからブーメランのように旋回し戻ってきて、たちまち急降下して奴の女に彼は帰っていく。たくさんの獲物を抱え、たくさんの拾い物をポケットに突っ込み、いくつもの宝石を拳のなかに握り締めながら、遠くから帰る。「おまえにやるよ!」のたった一言をいうために。それは男らしいやり方だった。冒険者のやり方だった。それは自由で豪奢な人間だけができるやり方だった。こういうやり方があったんだ!
 ブンは一つの方法を発見したと感じた。もっとも、それが何のためのやり方としてそうなのかは、まだ彼にはわからなかった。いや、まずそれが手紙の方法として発見されたことは確かだ。手紙はこういう風に書かれるべきだとブンはまず感じたのだから。だが、たんにそれが手紙の方法の発見だったのか、それ以上のことだったのか、そのことはまだ彼にはわからなかった。だが、もしそれが本当に方法の発見だったなら、たんに手紙の書き方の問題ではなかったはずだ。

  

 放つ。本当にあたしは好きなんだな、そのことが。それはあたしの存在することのつねなる目標、理想なんだわ。まるで自分を新しく発見したようにアイズは独りごちた。すると以前ブンがいったことが思い浮かんだ。
「おまえ、以前、吐く息と吸う息ということをいったろ。そして、自分は吐く息が好きな人間の方なのだ、と。」
あのとき彼女はこういった。

そう、吐く息は透明化ということとつながってる。肺が空っぽになりきるまで深く深く吐いてゆく。空っぽになりきるまで。それは透明化っていってもいいわ。あたしは、吐く息と吸う息という二つの息の仕方で世界というものを考えてきた。人が息を吐くときの世界と吸う息のときの世界、それは二つのちがう世界、いえ、一つの同じ世界の二つの顔。息を吸う、それは世界を吸い込むってこと、内部にできるかぎりたくさん。できるかぎり深く。たいてい人は深呼吸ってことをしない。短く浅く慌てて吸って急いで吐く。せかせか呼吸するだけ。世界はちょとしか吸い込まれない。人は世界のほんの表面、その小さい小さい部分を生きるだけ。そして、ちょっとしか吐けないから、人は自分を透明にすることができない。大きく吸うためには深く吐かなければならない。二つは一つのことだけど、でも、それぞれは互いに異なってる。お互いが相手を必要とするけど、でも、それぞれは反対。

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 ブンはこう応えた。
 それで、吐く息で自分を定義する人間と吸う息で自分を定義する人間と二通りの人間がいる、そして自分は吐く息の人間だ、それがおまえの考えだった。俺は以前、おまえの息の吐き方とそっくりな息づかいを一人の黒人の女のジャズシンガーのアルバムに聴いたぜ。ニーナ・シモンのアルバムに。
 背後で女たちの手拍子が鳴っている。踏む足の音が鳴っている。黒人の大きな肉厚のピンクに発光している、あの手のひら。肉と肉が打ち合う音。大きな手のひらだけが生む音。リズムの区切りにかけ声が入る。息にかすれた声がきしる。ニーナは女たちと歌っている。まるで部族の祭歌のように。女たちは手と声と、そして息で、そう息で、リズムを取っている。ニーナは歌い、そして最後に彼女の歌もまた息に変わってしまう。そのとき俺は理解した。リズムは息だったのだ!「何を、当たり前なことを」といわないでほしい。それは俺自身がそのとき発見したことだったんだから。他の人間がとっくの昔に発見していようと、それは問題ではない。俺が発見した。だから、それは俺の真理、俺がそれを生きることになる真理だ。それはエロティックな真理だったんだ。女の吐く息はひどくエロティックだったんだ。息を吐く強い音。深い持続と大きさを感じさせる、吐かれる息の響き。リズムは吐く息の深さのなかから、大きさのなかから、誕生する。世界は息を吹き込まれる、女の吐く深い息によって 

  11

 

アイズが返す。
「そう、あたしは息を吐くときがいちばん好き。自分をどんどん空っぽにしていって、しまいには世界と自分の境が消えてしまうまで自分を空っぽにすることが、あたしの望み。」
 だが、俺はそうでない、とブンは胸のなかで呟く。
 俺とおまえは元は敵だったんだ、敵同士だったんだ、つねにブンはそう繰り返した。俺は吸う息で自分を定義する人間だ。しかも俺が目指すのは爆発とそれがもたらす空虚ではない。密集であり、構築だ。
 二人は奇妙な敵だったのだ。少なくともブンにとっては。二人だけで会うことをつねに求める敵だった。ブンは彼らが会う席に他の誰かが同席することを絶え間なく拒絶した。あるいは口実を設けて回避した。他の誰かが同席するなら彼はそこに行かなかった。

 




  第一章 アイズとブン

 


 ついにやって来てしまったといわんばかりの突き詰めた凍った眼をしてアイズは入ってくるのだが、ブンの姿を認めると、その眼はたちまち明るんだ。眼の明るみは含羞(はにかみ)となってアイズの満面に広がり、彼女はそれを見られまいと伏せ眼がちにブンに近づいた。けれどもブンの前に立ち、アイズが面(おもて)を上げるようにしてひたと彼を見つめたとき、彼女の眼からその羞恥は消えていた。むしろ眼は小さな獣の野性を思わせる光に漲りだし、熱を帯びた陽気さがいまにも踊りだしそうに瞳のなかでくるくる回りだした。ブンはそうした彼女の眼の三段階をたどる変貌を見るのが好きだった。それを見ることは、ブンにとってはどの段階も省略してはならない彼らが会うための儀式であると思えた。

  


 或る冬の日だった。街路には機動隊の青味がかったねずみ色の装甲車が何台も並んでいた。移民労働者たちの初めての大規模なデモが予定されていた。右翼テロ反対、強制送還反対、労働組合の結成と民族教育の権利の保障という三つのスローガンが掲げられていた。合法にであれ非合法にであれ、さまざまな国から流れ込んできた移民労働者が彼らの国籍を超えて一つの連合組織を結成しこの国で独自のデモを敢行する挙に出たことは、異様な緊張を引き起こしていた。人々は、自分たちが異物というものを抱え込んでしまっていることに初めて気づいたのだ。同時にまた知った。憎むという快楽が新しいレベルで自分たちに取憑きだしたことを。奴らについて自分たちが取り交わす言葉の底がヒーターのように赤熱し始めたことを。
 あるとき、ブンに友人のギゼが興奮して彼が掴んだ首都で起きた事件の情報を語った。
「兄貴が巻き込まれたんだ。ヤクザの連中がしたデモに。あの街の名前はおまえも知ってるだろ。この国最大の風俗の街さ。飲み屋とAV店と風俗とラブホの街。裏に入れば入るほど中国人と韓国人とフィリピン人ばかりだっていうぜ。隣町はアルゼンチンの売春婦ばかり。奴らは白人の女で売れるからな。小さなスーパーが何軒かあって、中国と韓国とフィリピンの食材の専門店だっていう。こういう話を聞いた。この列島の国の南の果てのリュウキュウだとかその周辺の島々で野菜として青パパイヤをつくってる。果物じゃないんだ。青いままで、こりこりしたのを、ゴーヤみたいに油で炒めて食べるんだ。その得意先は実はあの街のフィリピン人たちだというのを。母国の味をこの国の南島でできる青パパイヤで満たしているんだって、さ。フィリピン・スーパーには青パパイヤが並んでる。あの街のフィリピン人が毎日買いにくる。裏で取り仕切ってるのは中国と韓国のマフィヤだってさ。このあいだ奴らに組の者が殺されたヤー公の話が新聞に出てたろ。殺し方が半端じゃないってのも、な。噂では全員が顔を潰され、首とペニスを切り落とされていたっていうじゃないか。その三日後にやくざのデモがあったんだ。あの街の大通りで、だぜ。威信を賭けて組の全国動員をかけたってさ。笑っちゃうぜ、黒服で固めた連中が携帯マイクでがなって行進したんだ。二百名はいた、って兄貴はいってた。兄貴のやつ、一団が通り過ぎたんで急いで大通りを渡ろうとして、横見たら第二団がやってくるじゃないか、おろおろしてたら二つの黒服の軍団に挟まれて、まごまご横切ったらぶっ飛ばされそうで、怖くなって一緒に通りの角までデモったなんて、自慢こいてた。相撲取りのようなスキンヘッドの一九〇センチはある黒服も何人もいたってさ」。
「なんてがなったんだ。マイクで」
「なんだっけな」
「まさか、『われわれは殺人をゆるさないぞぉー!』とかじゃないだろ」
「ぶっ殺したる! 出て来い! なめんな、おら! おまえらを殲滅するぞぉー! 殲滅するぞぉー!、そんなんだった。たしか兄貴がいってたのは。俺今度行ってみる。あの街へ。」
 ブンは思い出した。朝のニュースショーでキャスターがしたり顔でいっていた。
「異民族が相手だと人間って平気で残酷になれるんですよね、私は戦場を何度も取材したことがあるから、わかるんですよ。この殺し方はちょっとわれわれ同士ではないなと、すぐ感じましたね。当たってましたね」と。 
 中国人の食い詰めた留学生たち三人がぐるとなって、行き当たりばったりに見ず知らずの家に押し入って、子供だけは助けてと哀願する両親も子供も皆殺しにして、その家の車で運んで、重石をくくりつけて全員を数珠繋ぎに海に捨てた事件に関してだった。もう移民たちには凶悪というレッテルが早々と貼られていた。半端じゃない奴ら、それが移民だ。殺し方にしろ、盗み方にしろ、稼ぎ方にしろ、食い方にしろ、セックスのやり方にしろ。奴らはわれわれと同じじゃない。まるで挨拶言葉のように人々はそういいあった。
 異物が欲しかったのだ。勝利が保障された小さな戦争が欲しかったのだ。既に子供のころからあのイジメをとおして訓練済みの慣れ親しんだ快楽、《敵》がいるという快楽、それも惨めな敗北が予告された《敵》がいるという快楽が。しかも今度は、それは公認の快楽としてジャスティファイされだした。仲間の一人を《敵》に祭り上げて叩くことの疾しさはそこでは消えていた。なぜなら正真正銘の《敵》がそこには登場していたからだ。われわれではない、正真正銘の奴らが。仲間殺しの時代は終わった! われわれはそこから浄化された、というわけだった、

 
 3

 二人がどこかで落ち合う時、たとえば喫茶店で、ブンはいつもジャンパーであれジャケットであれ、上着の右のポケットに何かを握っている風に右手を突っ込み、それで軽く左にかしぐようにして、アイズの待つテーブルに近づいてきた。あるいは、左手をテーブルの上に置き、少し右肩を引き、右手をポケットに入れたままにしてはすかいに構える形で、アイズが来るのを座って待っていた。
 アイズは知っていた。そのようにしてブンは一つの記憶を今も生きているということを。以前彼はアイズに打ち明けた。自分は、中学生の頃、男のガキが主人公となる或るフランス映画を見た。そいつは親からも周囲からも疎んじられていた。やっと一人の友達ができた。そいつがその友達になったもう一人のガキに会うとき、コートの右ポケットに手を突っ込み、そこにあった何かを握り、その握った手をポケットから引き出し、友達の目の前に突きだす。冬のパリでの話さ。ちょっと間をおいて、手を返して指を開く。「ほら、これ!」ってさ。
 たとえば、それはビー玉三個、スズメの死骸、干からびたカブトムシ、錆びた小さなナイフ、一枚のトランプ、鍵。
 発見した宝物、今日の贈り物さ。そのシーンを見て、俺は、俺もそうしたいと思ったのさ。そういう仕方で会う奴が出来たら、必ずそうしよう、と。
 

 
 4
  

 この国はもう半世紀以上「反体制」という存在なしにやってきた。そのあいだ社会のさまざまな部署でマネージメントの仕事に就く半端なエリート層は「健全なる二大政党制の成熟」という目標に夢中になった。「反体制」の消滅こそ二大政党制の成熟の機縁なのだ。いまこそ「欧米と肩を並べる市民社会を!」というわけだった。
 だがブンの眼にはこう映った。二大政党制とは半端なエリート層のエール交換の儀礼のようなものだと。自分たちが社会の指導階層であることを確認するための。というのも彼らが指導すべき職場の部下だとか、学校の生徒だとか、地域の住人だとか、つまり彼らの「大衆」ははまったくしらけてうつむくかそっぽを向いていたからだ。指導される側の連中ときたらまったくといっていいほどのってこなかった。長の名がつく中間管理職についたばかりに鬱病になった連中は死ぬほどいた。
 マネージャー階層は、自分が指導者であることの確認を指導する相手からは調達できなかった。「大衆」は沈滞し引きこもっていた。確認の拍手を送るお愛想すら誰もしなかった。
仕方がないので彼らは自作自演の仕掛けを打った。互いに相手の非を鳴らし政策を対置して応酬しあうことで、この沼地のように疲れ切った倦怠の社会のなかで、「われわれだけが国を憂い政治を語る階層なのだ」ということを確認しあうことにしたのだ。何ももう脅える必要はなかった。根本的な転換などという神がかった瞬間、つまり昔「革命」という言葉が指し示そうとした瞬間の到来なぞに。信じるということが息絶えたこの社会で変わることなぞ何ももうなかった。せめてもの見かけが欲しかったのだ。それも半端なエリートたちにとってだけの話だが。自分たちのアイデンティティを、「国を憂い政治を語る階層」という自己規定を繋留するゾーンを。
 実際若者の場合、ノン・エリート層ならびにさらにその下に泥のように沈澱しているドロップアウト層は完全に非政治化していた。非政治化というより非社会化といったほうがよいほどだった。投票率は四割を切っていた。世の識者たちはもうお手上げだと自嘲気味に「われわれはパンとサーカスの時代を生きている」と投票日前にテレビから説教を試みたが、そんな説教には本人たち自身がしらけていた。
 非政治化したノン・エリート層が政治化する気配などどこにもなかった。いわんや難民化したというべきドロップアウト層においては、集団を形成するどんな手がかりもなかった。だいたいからしてこの階層の、とりわけ若者はそれぞれが極端に孤立していた。引きこもりとスナック菓子とパソコンゲームがこの階層の若者の「パンとサーカス」の中心形態だったといえば、たぶんその特徴を語ったことになるだろう。若者に親から自立する気配はなかった。親の家に留まりフリーターと称して職業を転々として、労働に行き詰るとたちまち家に引きこもった。結婚をする人間も極端に減ったし、セックスも衰退していた。コンドーム市場をほぼ独占することで有名な或るコンドーム会社は、その商品の吸引力を高めるべくあらゆる改善を試みたが、売り上げの顕著な下降を引き上げることはついにできなかった。そもそもセックスはヴァーチャル化しマスターベーションに置き換えられつつあったからだ。性欲がオナニズム化すればコンドームの必要はなくなった。そして彼らは何であれ他人というものが面倒だった。
 そこへ突然「異物」が、肉体が肉体を破壊する暴力とともに出現したのだ。
つい昨日まで人々は移民労働者を見て見ぬ振りをして過ごしてきた。もちろんこの国でも移民労働者の先遣隊は女であった。つまりセックス労働者(ワーカー)としての女であった。或る日の午後、ブンは自分の住む町のいかにもその界隈の常連たちがたむろする街角の小さな喫茶店で、その窓際で演じられるこんな光景を眺めていた。
 銀のタイツに象のような大きな尻をつつみ、その割には細いシャープな足にヒールの高いサンダルをはいて、これ見よがしにT シャツから胸の深い谷間を誇示している中国人らしき大柄な女が、もう白髪だが遊びごとには慣れている風情のこの国の男とテーブルをはさんで差し向かいに座り、大声を張り上げながら、癖のある蓮っ葉なブロークンなこの国の言葉で自分の勤める店の店長をこきおろしていた。この調子なら寝たあれこれの男のセックスも身もふたもなくこきおろすにちがいないと、ブンは聞くともなく聞いていた。男は鷹揚にそれを聞き流したあとで、「先生、先生」を連発するその女に手をとらせながら、喫茶店を出てタクシーを止め、二人して乗り込んだ。喫茶店の店主はこのこれ見よがしのけたたましいやりとりにも、昼間からのセックス行にも無関心だった。
「お馴染みなんだ」、とブンは思った。そんな具合にこの国の街角の風景のなかに、たどたどしいこの国の言葉をあやつる移民の連中が棲みつきだす。だが、彼らは昨日までは分散していた。街角や裏町の小汚いアパートや「文化住宅」やマンションの陰にその小さな人影を見せるだけの存在であった。彼らは決して集団として現われるはずのない人間たちであった。あくまで個々の例外としてこの国の風景のなかに姿を見せる人間たちであった。そのはずだった。そうであるならば、彼らは街角の小さなスキャンダルにすぎなかった。変り種の話題提供者として、許しておいてよい人間たちであった。テレビのニュースは今日も移民たちの凶悪犯罪を報道するにしても、だ。
 だが、今日彼らが集団として自分たちを現わそうとするなら、話は変わる。
彼らは集団なのか? それならば治安の対象ではないか。彼らは国家に、ニッポンに、つまりわれわれに反抗を試みる存在となりかねない。昨日まではわれわれを笑わせてくれる道化だったはずの奴らが、交渉ごとにわれわれを引きずりだしかねない! 奴らはひとりひとりだったはずだ。集団は俺たちだけだったはずだ。奴らの恐怖が俺たちに転化しかねない。たとえ小さな集団でも、集団となった奴らとたまたま遭遇するなら、俺たちはひとりである恐怖を味わされることになりかねない。慌てて周囲を見回しても仲間は誰もいない。奴らだけがいて、俺はひとりだということが!

 
 5

 
 
 数日前、「死の飛び地」という言葉を、アイズは母の本棚の片隅にあった叔父の遺稿のノートのなかに見つけた。叔父は五十になる前に癌で死んだ。物書きになる手前で死んだと、少し口元を歪めて母はこの弟について語った。
「ノートをひらく。まだ数頁しか埋まっていない。私のたくさんのノートがこれまでそうであったように。最初の数頁だけが文字に埋められている。あとは膨大な白紙。何度私はそうしたノートを妻の嘲笑を浴びながら古新聞と一緒に捨てたことだろう。テレビでチェルノブイリの原発事故の十年後を取り上げた特集番組を見て、急に思い立って作ることにした。このノートを。性懲りなき我が愚行!
 私は番組を見た数日後に次の記事を読んだ。ロシア保健省付属生物物理研究所と医学放射線科学センターが提出した二通の未公開の報告書を紹介したもので、内容はほぼ先の番組と重なっていた。一言でいえば、チェルノブイリ原発事故による放射線被爆の後遺症の全貌は、十年後の今日ようやくその恐るべき破壊的な様相をあらわにしつつあるというものだ」、と叔父のノートは書きだされてあった。
 その文章のタイトルが「死の飛び地」であった。
 アイズはこの叔父にことのほか可愛がられた。姉の娘だというので弟の叔父はアイズを可愛がったのだろうが、それだけではなかった。アイズはそう感じていた。絶え間ない挫折、なにもかもが中途で終わることを運命づけられていたようなこの中年男と中学生のアイズとのあいだには当時奇妙な友情が成立していた。仕上げるだとか、行き着くだとかを一度もしたことがないことに愛想を尽かされ、もう妻にも姉にもまともな話し相手とは見なされなくなってしまっていた叔父にとって、アイズは彼がしたくてたまらない彼の思念を打ち明ける唯一の相手となった趣があった。
 というのも、彼はアイズのなかに幼いといえど既に彼女を捉えているその特有の孤独、自分の感情の過剰さに自ら傷つくことが生む孤独を認め、そのなかにつねに途絶に終わる自分の情熱へのいわば補償的な慰めを見いだしたからだ。アイズを理解してやり、彼女の幼い孤独がいつかそこへと彼女を導くはずの人生の諸問題について、文学やら美術やら、はたまた映画や音楽について語りながら一種の手ほどきをしてやることは、彼にとってはアイズの孤独を励ましてやることであった。
「君の孤独には大いなる価値が宿っているんだ、君はその孤独をとおして深い人間となれる。深く生きるか浅く生きるか、はかなく死ぬ定めの人間に唯一取っておかれた選択はこれ以外にないんだよ」、と。
 それは同時に彼にとって自分への慰撫であった。アイズの内なる過剰さはつねに彼女を孤独に追いやるものだが、同時にそれはついに彼がもてなかった生命の強靭さを彼女に保証するもののように、彼には思えた。元来理想家肌の彼にとっては彼女を愛することは、自分が追求しきることができなかった理想を、しかしなお自分が愛し、それに忠実でいることの証明でもあった。他の人間が戸惑ったり危ぶんだりするこの子を、しかし自分は愛しているという、その愛は彼の自己証明書でもあった。しかし、もっと深い理由は、アイズと話していると彼は一五歳の自分に戻れる気がしたことにあったのかもしれない。
 アイズは叔父が死んだあとで懐かしく思い出した。或る日、叔父がチェーホフの話をした。チェーホフはまるでドストエフスキーの反対だ。慎ましく、寡黙で、穏やかだ。不思議なことに自分はこの正反対の両方が好きだ。そういいながら、彼はチェーホフが死ぬ直前に書いたという『故郷にて』という短編について、その日熱を込めて語った。それは叔父と若い姪の話で、ぺテルスブルクで女子学生をやっている姪は或る日故郷に帰ってきて叔父に会う。彼はすっかりくたびれている。彼女を導いて、ぺテルスブルクに旅立させた人間、女子学生の道を進む決意を彼女にさせた人間、それが彼だった。少女の彼女になにくれと文芸の手ほどきをして、沈滞し切った農奴制のロシアを痛罵し、故郷を捨て、新世代の人間としてぺテルスブルクへと羽ばたくことを勧めたのは、彼であった。しかし、帰ってきた彼女が見いだしたのはそのかつての輝かしい叔父ではなかった。彼はくたびれ、彼の言葉はもう彼女には陳腐な時代遅れの古びた言葉としてしか響かなかった。
 彼は彼の青春であった一八四八年革命に燃えた理想主義的世代の片端にいた人物だったが、彼はその追憶のなかに自分を化石化していた。いわばドストエフスキーの『未成年』や『悪霊』のなかで若きニヒリストたちに嘲笑される老人理想主義者の一人が彼であった。
 しかし、今はその時代すら超えて、もう二〇世紀だった。理想主義の後には『悪霊』や『父と子』や『サーニン』が描きだしたロシア・ニヒリズムの青春がナロードニキのテロリズムと手に手を携えやってきた。だが、いまやそれを超えて、ぺテルスブルグでは「党」という組織体がロマンティックなボヘミアン的革命家像を嘲笑いながら、同時にまたニヒリズムを「ブルジョア的反革命的デカダンス」と罵倒しながら、ロマンティシズムを「科学」に置き換え、高貴なる個人のテロリズムを「党」に、「プロレタリアートの組織化」に、集団に置き換え始めていた。学生たちのあいだで、マルクスの史的唯物論を理解せず『資本論』を読んでいない人間は馬鹿にされた。「文学の季節の終了」が宣告され、冷徹な科学の現実主義に基づく「果断なる政治の集団的季節の開始」が宣言された。
 姪は悟る。自分は帰ってくるべきではなかった、と。もう二度と故郷には帰らない。母との挨拶は済ませた。次に会うのはおそらく棺に横たわる母の寝顔にだろう。母の葬式の前にここにもう一度戻って、ことさらに会うべき人間は誰ももういない。その日の夜、叔父と別れ自分の寝室に戻った彼女は明日ぺテルスブルクに戻ることを決めてしまう。
 「故郷は捨てられる。いや、捨てられるべきなんだ。この短編を書いてチェーホフはすぐ死んで、それが一九〇四年、次の年に第一次ロシア革命が勃発するんだよ。」
 そう叔父は解説した。この彼の解説が正しいのかどうかアイズは知らない。思い込みの激しい叔父の解説にはたぶん事実誤認がある。彼の主観による勝手な改作があるにちがいない。だが、とにかく叔父はそう語った。ついでに彼はチャップリンの『ライム・ライト』のエンディングのシーンについて話した。長らく舞台を離れていたチャップリン演じる老コメディアンが、芸人人生を締めくくる最後の一回限りのショーをするのだが、その芸の最後に背骨を折ってしまう。おどけた果てに舞台の大太鼓に尻からはまって身動きが効かなくなり、それでエンディングになる。それは予定された演出ではあったのだが、コメディアンは本当に背骨を折ってしまう。観客は大笑いだが、そのとき彼が背骨を折ってしまったとは気がつかない。そのままの形でコメディアンは舞台の陰に運ばれる。もうすぐ救急車が到着する。その激しい痛みに耐えながら、彼は自分の次の幕を務める愛するダンサーの少女の舞台をそこから見つめる。少女はバレリーナとして成功をおさめるにちがいない。客席の大興奮がそれを予告する。老コメディアンは満足の笑みを浮かべ、息を引き取る。
「生命あるものは死につつあるものを捨てなければならない。どんなに非情に見えてもね。死につつあるものは生命のためにそれを喜ぶ。唯一の挨拶を口にする。『さあ行きたまえ』と。それをチェーホフもチャップリンも描き切った。慎ましい仕方で。それは素晴らしいことだよ」、と叔父はいった。
 アイズはそのことを思い出した。

 
 6

 三日前の日曜日、朝の八時にブンはカドマの地下鉄の駅に降り立ち、出口を出て地上の明るみのなかに立ったとき、眼を奪われた。冬の空は虚無の青さを湛え広大であった。都会のオオサカにこんな空だけの空があり、思わず仰ぎ見てしまう虚空の大きさが人間の頭上に君臨するその宇宙的風景に、彼は打たれた。冬空はこのオオサカであっても清冽であった。その清冽さに自然は主権を取り戻していた。
 いや、主権はどう転んでも自然の側にあった。たとえば、「戦争」は、或る哲学者の著書のタイトルをもじれば、「人間的、あまりに人間的」な出来事であった。何といってもそれは、残虐と愚行と悲嘆の叫びと泣き声に、さらにいえば〈笑い〉によって包まれているからだ。しかし、この「人間的、あまりに人間的」な出来事も、考えてみれば、実は自然の生物学的な自己淘汰調整法則のただの人間版、その最悪の焼き直しであるに過ぎなかった。数十年に一度、レミングというモルモットが大河のように群れをなして海に突入し溺死するという。数十年に一回大津波や大洪水がやってきて、多くなりすぎた人間を万単位で淘汰してくれる。この生物的集団自殺や天災による集団淘汰の人間版が戦争だ。
 雲一つない冬のカドマの青天は語る。
 
私は誇示しているわけではない。自分にとっておまえたち人間は蟻に等しい塵芥(ちりあくた)のごとき存在だ、と。そんな言い方をすれば私をおまえたち人間に譲り渡してしまうことになる。私はただ自分自身にだけ勤(いそ)しむ巨大なナルシシズムなのだ。もともとおまえたち人間に対して、もっといえば、およそ何であれ個物に対して無関心なんだ。私は森羅万象という唯一絶対の総体としてだけそこにあるものなのだ。私のもとではあらゆるものが関連しあっている。境界というものは実はない。あると見えてたちまち入れ替わり、変貌し、無くなってしまうものなんだ。つまり永遠に生きている森みたいなものだ。森羅万象とはよくいった。だから私のもとでは個別というものがそもそもないのだ。個物というものは、生がたちまち死に入れ替わるほとんど非存在に近いもの、仮象なのだ。仏教徒はそれを空と呼ぶ。あのユダヤの旧約聖書の神は人間をまだ構うことをする。それどころじゃない。嫉妬し、憎み、罰する。あの神はいってみれば裏返しにされた人間だ。まるで人間が製品をつくるように世界をつくる創造主として登場する。だから壊すこともする。罰するために。自然である私は、そんな神をはるかに超えている。つまり空だ。罰もないし、だから罪というものもそこにはない。破壊即誕生であるから、破壊というものも実はない。そういう概念がそもそも成り立たない場所に居を構えている。

 ブンは考える。虚空を仰ぐ。すると、人間は自分が完全に自然にとっては関心外だということに気づく。突然己の脆弱きわまるはかなさに突き戻される。人間は滑稽であった。裸の王様よろしく、実は自分が脆弱な裸体であるしかないことに気づかず、文明という鎧を、文化という衣裳を、身に纏っていると錯覚していた。ほんとうはただの裸体でしかないのに。
 ブンはこれまでこのような大空は都会では港の上にだけに広がるものと思っていた。
 ブンには港の哲学があった。
 港の空は素寒貧に大きい。それは海が一方にあるからだ。海は低く低く蒼い油面のように広がり、反対に空は高く高く透明に青く広がる。その両極にあいわたる広がりのなかに雲が湧き、流れた。中天の太陽が水平線を白熱の直線に変えたこともあった。また落日が海の波間を金色に染め、その光の波間を遡る果ての果ての起源で紅に燃え尽き、絶命した。
 そして地上には、大倉庫や骨だけになった恐竜や巨大ロボットのような奇怪な形の大クレーンしかない。そこには、都会の暮らしの形であり本質である人間の密集というものがない。出航した船はたちまち水平線のむこうに姿を没する。大倉庫であっても、その高さは到底高層ビルの高さに及ばない。視界を遮って空を隠すほどの高さはない。大倉庫は実は海に面している。両方を一度に視界に収めれば、大倉庫の巨大さは虚の広がりに包まれ隙間風の吹きわたる小さな寂しげな存在へと変貌してしまう。
 もともと倉庫は人間の密集と定住を意味する建物ではなかった。空虚と物の集積の絶え間ない交代、それが倉庫だ。夜は無人となるのが倉庫だ。家族の住む家とは反対だ。大クレーンはまるで竜骨の化石か巨人戦士の骸骨のようにそびえ立つ。だが、かえってその黒々とした奇怪な線となった姿によって、背景にある空の虚無的な広がりはいっそうひきたつ。人々は港で働く。だが、住むわけでない。人が去って倉庫や機械だけがそれ自体となって無機質の黒い夜のなかにうずくまるとき、無人となり空となった建物の内部や建物と建物との隙間から、孤独が夜風となって湧きだす。吹きわたる。
 だがその孤独は既に昼間の風景のなかにすら素寒貧の隙間風や岸壁に吹き寄せる海風となって滲んでいる。港は《外部》という無人地帯(ノーマンズランド)の存在を人間に触知させる。
 
 港でもないのに、カドマの空は虚空へと自分を開放していた。
 それは、港と同様、カドマも都会の居住空間の《外部》であり、工場と倉庫と巨大道路によって構成される非居住エリアだったからだ。
 地下鉄の駅から地上へと出たブンの眼をまず捉えたのは、空に架かる巨大な京阪自動車高速道路のインターチェンジであった。冬の青空に咆哮を放って、巨大な竜骨がしないまた交差しあうように、二本の大高速道路がワープし交じりあってブンの視界を圧迫した。巨大な高速道路は一般道路に降り下るバイパスを宮殿の脇階段のように従え、ブンの頭上三〇メートルを巨大な黒い帯となって走り、バイパスからは時々自動車の群れが駆け降りてきた。それはいってみれば錆びた宇宙基地の科学的風景であった。このバイパスを逆方向に遡り、巨大な高速道路の帯のなかに吸い戻されれば、そこにはかつてソ連と呼ばれていた国の映画監督タルコフスキーが製作した夢幻的な孤独者の映画「惑星ソラリス」の宇宙基地が姿を現わすにちがいない。そう彼は空想した。
 風景は、冬の研ぎすまされた冷たい青の大空と、低くまた低く這いつくばる錆びた地上とに二分されていた。カドマはかつてはオオサカの有数の工場地帯であった。おそらくそれ以前は広大な農業地帯、田畑に働く農民のエリアであったにちがいない。工場プロレタリアートのエリアどころではなかったはずだ。現在カドマは巨大な高速道路と倉庫と工場からなる鉄とコンクリートで出来上がった世界ではあるが、そこを吹く風はどことなくいまでも田舎じみていた。土の匂いと鉄の匂いが混じったような素寒貧の寂しさがそこには滲んでいた。貧農の孤独と中卒工員プロレタリアートの孤独が抱き合っていた。
 後にブンは聞いた。そこはかつて大湿田が広がっていた、と。泥田はあまりにも深く、農民たちは田植えをはじめとして農作業のときには下駄をはいて自分の足が泥田の底へ沈まぬように工夫したという。そもそもそこは米ではなく、蓮づくりを生業としていたという。住民たちは湿田特有の毒気のかたまりの密集体でやってくるやぶ蚊に毎晩悩まされた。湿気とやぶ蚊に包囲されていつも皮膚を掻き毟っていた住人。それがあの辺の住人、つまり下層民だ、と。地盤が弱いあの地域に最初に立った、いかものの、住民重視サービスのみせかけ第一号、あのコンクリートアパート様式の市営住宅は、地固めなど一度もしない自分のいかもの性に衝突した。つまり自分の重みで粥のような泥田の土に足を掬われ、横にかしぎ、その果てにとうとうひっくり返ってしまったという。
 こうした話をブンはリュウキュウの隣のアマミからカドマにやってきた老人から聞いた。一人どころか、老人をとりまく何人もの老人から。彼らが少年だった当時、ちょうどあの第二次世界大戦と呼ばれる世界戦争が終わる頃の話だが、リュウキュウの人間もアマミの人間もこの国の二等国民と呼ばれていたという。一等国民は、カゴシマからアオモリまでの住民を指し、ホッカイドウのアイヌはリュウキュウやアマミと同様第二等国民であった。
 三等国民とは何を指したのか? 当時台湾や朝鮮はこの国の植民地であった。彼らが第三等国民であった。二等国民とはこの国の人間と植民地民族とのちょうど中間というわけなのだ。つまり、カドマはその昔から農地としても劣等で、人の住むべきまっとうな場所ではなく、だからそれだけ安い家賃や土地代金で人が暮らせる場所、一言でいえば、二等国民や三等国民の住むエリアだったのだ。つまり、それは移民の街であったのだ。
 ちょっと気取っていえば、それは大都市オオサカの《外部》であった。あるいはその不気味な得体の知れぬ《外部》の前哨戦の戦われる地帯であり、また通路でもあるところの《周縁》であった。この事情を知ったとき、ブンには鉄と土が入り混じったようなカドマの風の奇妙な匂いの原因がわかった気がした。
 「地霊」という、なにかというとアイズがこだわる言葉がブンのなかに甦った。アマミの老人は一つのルートの存在をほのめかした。リュウキュウとアマミの移民たちはまずオオサカのタイショウの、しかもその一番端の町、港に接した「ツルマチ」に着き、そこに既に住まいを構えている兄弟や親戚や同胞の世話になり、オオサカ暮らしの最初の資金を貯める。少し金がたまり、言葉もこの国の言葉を習得してバイリンガルとなりおおせる頃、彼らは次のステップを歩むためにカドマのプロレタリアートになるのだ、と。朝鮮の済州島からの「海上の道」がまずオオサカのイクノのイカイノに上陸し、ヒラノ・リバー周辺にチョウセンブラクを形づくるのと論理はまったく同じだ。リュウキュウとアマミからの「海上の道」はタイショウの「ツルマチ」に上陸をなしとげ、そしてカドマに直進する。カドマの地霊は移民の地霊なのだ。地霊はまた次なる移民を呼び寄せる。そのことをブンは思い知ることになろう。
 しかし、いまはこういわねばならない。かつてリュウキュウやアマミの出身者をプロレタリアートとして吸い込んだカドマの工場群も、いまやそのプロレタリアートとともに撤退した。無人工場、広大な更地、倉庫群、道路だけが残った。
 その撤退とともに自然が再来し始めたわけでは全然なかった。鉄とコンクリートの居抜きの棄却があっただけだ。人が抜け、鉄とコンクリートは近代の工業的生命をさえ抜き去られ、ただの形骸となった。鉄とコンクリートの廃物世界が出現した。
 たしかに田畑の上の労働は田植えや収穫の時を除けば孤独であろう。しかし、そこには森や草木、鳥や魚や昆虫や小動物との、つまり自然の生命との接続と連係が、共にする呼吸が、ある。田園の孤独は自然の豊饒な多産的な生命性へと接続する。連携というものがある。そこには田園の生命的な開放性が引き込む農夫の孤独を癒す自然との絆というものがある。だが、そんな形の孤独と開放との接続性は、たとえ工場群が撤退しようと、カドマには再生すべくもなかった。それは錆びた廃墟的な棄却されたものの荒涼さに取って代わられた。
 
 

 


 
  ノートのなかで叔父はこう続けていた。
  アイズは読み続けた。
「記事によれば、八六年の事故処理作業従事者の全員が西暦二千年までには身体障害者となり、その平均寿命は四四,五歳と予想され、これはロシア男子の平均寿命よりも二五歳も短命であり、既に北コーカサス地方の事故処理従業者の三割以上が現時点で『労働能力喪失者』と成り果てている。そういえば番組は、そのなかの極度の記憶障害に悩む中年の労働者の現在を映し出していた。たしか彼は私と同じ歳だったはずだ。脳内に腫瘍が発見され、もはや緩慢な死を待つしかないことが妻に密かに医師より伝えられる。そしてこの妻は語る。夫の若い同僚で自殺した男の話を。その青年は結婚したてであったというのだ。性的不能に陥り、自分のなかで進む不可抗力的な神経障害の進展状況に絶望して自殺したという。ベラルーシでは、病死する以前に自殺する労働者の数が次第に増加しつつあるという。
 またこういう一節があった。『放射線による癌の発生率は、放射線の影響を受けてから十年後から三十年後に高まる』と。長い平穏な潜伏期間があり、ついで病魔は突然に牙を剥きだす。その時は終わりの始まりだ。番組が映しだしていたのは、十年後の現在いっせいに発症しだした甲状腺癌に苦しむ子どもたちの様子であり、彼らを見守るしかすべがない母親の苦悩であり、妊娠への恐怖を語る若い娘の顔であった。つまり《新人種》の誕生というわけだ」。
 アイズにはすぐわかった。この叔父は自分の癌とチェルノブイリとをどこか重ね合わせて考えようとしているということが。突然こんな文章が彼女の眼に飛び込んできた。
  
死はつねに『死の飛び地』として経験される。たしかにそれはそうだ。死と生とはあまりに隔絶しているから、死は生者のなかでは一つの暗渠としてしか感じられない。死の穴が突然地面にあくのだ。たしかに人間はみな《死すべき者》であり、死は人間の宿命だ。とはいえ、われわれはそのことをただ他人事として知っているだけだ。生きているかぎり、それを我が事としてはどうしても経験できない。生者であるかぎり、あくまでもわれわれは生に執着する。そのことは死を力の限り自分から遠ざけようとすることだ。だから死は、生者にとっては『死の飛び地』としてしか現れてこない。
 とはいえ、何事にも中間地帯というものがある。生者であっても、はやばやと死を宣告された人間、はやばやとピリオドが打たれた人間、なかば死者に変えられた生者の生きる地帯というものが。『死の飛び地』を生きるべく選ばれし者がこの世にはいる。はやばやと『死の飛び地』に幽閉された人間たちが。彼らはその点で《新人種》ともいえるかもしれない。
  
 叔父は二十世紀の「死の飛び地」たるアウシュヴィッツと、彼によれば二一世紀の「死の飛び地」の予言であり先駆けであるチェルノブイリのベラルーシを比較しようと試みていた。その考察の前には次の一節が置かれていた。
  
突然私のなかで一つの記憶と思考が連結する。あのとき私はCT検査を受けていた。私は検査台に横たわり、レントゲンカメラが私の体の上を行き来する。私の意識は目覚めており、モニター室から発せられる検査技師の指示に注意を凝らしている。指示はくりかえす。『息を吸って、止めて、はい、楽にして』。私は知っている。モニター室の画面には逐一レントゲンカメラがキャッチする私の体の内部の様子がそのまま映しだされていることを。カメラが私の体の或る部位の上に止まる。そこを何度も写す。とすれば、そこに何かがあるということだ。医師はそれを発見し、いっそう詳細に撮影しようとしているのだ。私は不安に怯える。突然気づく。私の置かれた状況の根本構造に。私の生死にかかわる事柄、私の抱えた運命、状況の真実、つまり私という存在の《真理》、それを知っているのは、ところが当の私ではなく、モニター室でテレビの画面を通して私を見ている彼なのだ。私の死は私の事柄であって、金輪際彼の事柄ではない。にもかかわらず、私は自分にとって最重要の事柄を我がものにすることができず、それを所有するのは、それに何のかかわりももたぬ彼なのだ。CT装置がそのことを彼に可能にする。そして現代文明は、人間が死を迎えるに、それをいったんCT装置をくぐらせずにはおかせない仕組みとなっている。私の《真理》は、私自身ではなく、《他者》が所有する。私は自分が滑稽な存在に変えられたことに気づく。
道にバナナの皮が落ちている。一人のデブが意気揚々と歩いてくる。観客は期待に満ちて息を凝らす。案の定、デブはバナナの皮にすべって不様にひっくり返る。一人のデブの状況の、運命の《真理》を掴んでいるのは観客であって、このデブ自身ではない。デブは、《他者》ですら知っている自分の運命を知らないという、そのことだけで滑稽だ。
それが私の生きる状況の根本構造だ。ただし私と舞台のデブを分かつのは、デブは大真面目で自分の滑稽さを知らないが、私は自分がこのデブと同じ者だということを知っているということだ。この意識が私に苦い笑いを与える。現代の死は、CT検査台の上に横たわる者のこの苦い笑いをもつ。

 叔父は、この一節のあとをこう続けていた。

アウシュヴィッツのユダヤ人は少なくとも強制収容所への幽閉の時点では《死の民族》あるいは《死の新人種》として構成された。高圧電流鉄条網とコンクリート壁のなかでピリオドを打たれた人種。アウシュビッツが『死の飛び地』であったわけは、連合軍が彼らを解放したときに世界の示した驚愕がよく示している。大半のドイツ人も含めて、世界全体がそこで何が起きていたのかを初めてそのときになって知ったのだ。ユダヤ人たちは世界から隔絶され、自分たちの死刑執行人を唯一の目撃者として、自分たちの死を死ぬことを強制された。死の孤独を完璧に実現しつつ、その死を死んだ。この孤独こそアウシュヴィッツを二十世紀の死のメタファーに押し上げたものだ。
ベラルーシにおいても死の新人種が誕生した。《死すべき者》たる人間の、その宿命を、死の孤独を、その呪わしさの尖端において生きる者たち。ベラルーシもゲットー化されている。たしかにコンクリート壁や高圧電流の流れる鉄条網で囲われているわけではないが。ベラルーシの大地は放射能に手ひどく汚染されている。そこに育つ食物、それを食べる家畜、そしてその家畜を食べる人間へと昇りつめていく食物連鎖の階段は放射能の体内蓄積の濃縮化の階段となる。つまり死の階段となる。そしてベラルーシがわれわれに示すことは、一握りの人間を除いて、人間というものはこの呪われた「死の飛び地」から脱出する経済的余力も脱出させるそれももたないということだ。
番組のなかでインタビューに答えてベラルーシ共和国の経済相はこういっていた。極度に汚染された地域から住民を安全地帯へと移す強制移住政策はもはや放棄せざるをえない。それを遂行する財力というものがもう共和国にはないのだ、と。誰も死の大地にはやってこない。そして貧しいベラルーシの民衆はそこにしか彼の生きる場所がない。人間には生まれたからには死ぬまで生きる義務がある。そして生きるためには死の大地にとどまるしかないというわけだ。なけなしの金をはたいてい一人の若者を脱出させるために残りの一家全員が汚染の死の大地に残ることになるだろう。
だが、アウシュヴィッツとはちがって、われわれはテレビを通してベラルーシの死の緩慢な進行過程を逐一目撃することができる。アウシュヴィッツにおいてはユダヤ人たちは自分たちの死刑執行人を唯一の目撃者にして死んでいった。ベラルーシにおいては人々は全世界の人間たちにテレビを通して観察されながら死んでゆくだろう。あたかも実験動物の孤独を生きるようにして。この二つの「死の飛び地」のあいだにはどのような連続面と不連続面とが存在するのか?
アウシュヴィッツの死がガス室のなかで数分で死ぬ処刑という形態のそれであったとするなら、ベラルーシはちがう。むしろ癌やエイズのそれと同型である。長い平穏な潜伏期間、突然の発症、終わりの始まり、急激な死への下降。いずれにせよ長い中間地帯の存在。「死の飛び地」に幽閉された生、それと一つになった宣告され予期された死、意識された死。そしてこの死は世界中によって長く観察された死だということだ。テレビ。テレビが可能にする観察という存在のモード。だがまた、そのことを知っている死。苦い笑い。屈辱と羞恥。
私は今二一世紀の死のメタファーになるものを探そうとこのノートを始めた。《他者》のものでありながら、同時にこの私を貫くものとしての。

 叔父のノートはここで終わっていた。そして、そのあとは白紙のページだけが続いていた。たぶんここに記されたベラルーシの被爆者はもうあらかた死んでしまっただろう。叔父が死んでからももうずいぶんの時が経つ。このノートも、彼が死んで、だから妻が記念にと彼の姉である母に送ってこなかったならば、結局彼の以前の幾多のノートと同じ運命をたどるはずであった。彼自らの手で焼却されたにちがいない。苦い羞恥とともに。ノートにはほんの数頁に字が記されているだけで、あとはただ膨大な白紙の頁が残っていただけなのだ。そんなものは古新聞ほどの価値ももたない。あったのは予告ばかりだ。母はいっていた、叔父はそういう人間だったのだと。予告だけの人間、それが弟だったと。
 もっとも、叔父のいう「死の飛び地」は今や世界中のいたるところにその小さい暗渠の眼を開けていた。叔父は書いていた。「なけなしの金をはたいて一人の若者を脱出させるために残りの一家全員が汚染の死の大地に残ることになるだろう」と。汚染の死の大地にしろテロリズムの吹き荒れる内戦の都市にしろ。そんなふうにして移民労働者がそこからやってくるにちがいない。「死の飛び地」をわが故郷とする《新人種》として。叔父の言葉を使うなら。
 
 アイズはブンに教えるだろう。「死の飛び地」という言葉を。
 アイズはそれを自分の肩かけバッグから取り出し、ブンが彼女にそうするように、彼の目の前でこぶしを開いて、「ほろ、これ!」というだろう。そして彼ら二人はその発見物をいろいろと値踏みした上で、気に入れば自分たちの共通の宝物とするだろう。それは彼らのボキャブラリーの一つに取り込まれることになるだろう。

  


 
 カドマの駅を出て、いきなり突きつけられたこの宇宙基地的な荒涼に、ブンは戸惑った。風景が大きすぎて目指す地点への勘が全然働かない。それで近くで立ち話をしていた二人の老婆に、この辺で中国人の朝市が開かれると聞いたがどの辺だと尋ねた。
 老婆の一人が、ああそれならば、と行き方を示した。「かなり歩かなならん」ともいいそえた。
 実際かなり歩いた。茫漠とした棄却されたような風景のなかを。とはいえ、あの老婆の即座の反応からみてこの辺りでは有名であることも間違いないわけだ、と思いながら。
 反対側に渡れと指示された信号にさしかかり、横断を待つ。向こう側に二人の女が自転車を止めた。横断を待つために。ブンはその一人は中国人だと直感した。くたびれたような中年前期の女、なめしたような浅黒い皮膚が額や頬骨にぴったり貼り付いた顔、到底美人といえない顔の造りと皮膚。下層の人間! 階級差が顔や肢体に沁み込んだような女。マンシュウの女だ! ブンは断定を下す。
 カドマには残留孤児であったがゆえにその後この国へ帰還許可となった中国人たちが、カドマの半世紀以上たつ群れなす四、五階建てのオンボロ市営住宅のなかに住んでいる。この老朽化した市営住宅にはエレベーターなど付いていない。二間とダイニングルームだけの住居、コンクリート壁はいたるところ剥げ落ちている。この国の人間たちはこの市営住宅を出ていった。
 たとえどんなに家賃が安かろうと、問題は環境とステイタスであった。どこにお住まいですかと尋ねられ名刺を出す羽目になったとき、まさか「カドマの市営大団地の一角です」とはいえないではないか、と彼らは考えた。つまり、そこを出たくとも出ていけない貧困層だけが残った。空き部屋はまたたくまに中国人によって埋め尽くされた。そうブンは聞いた。
 元残留孤児といえばあのマンシュウ、いまの中国の東北省だろう、と彼は考える。なにせマンシュウはこの国のかって最大の植民地だったからだ。「東北」という言葉が連想装置として働いて、彼はこの国のトウホクの雪焼けなのか日焼けなのか、とにかくなめし革のように浅黒く煮詰められた痩せこけた農民顔をトウホク省の中国人に重ね合わせた。
 あの、どうみても都会の人間ではない、絶対に大学を出たとは思われない、高校ですらあやしい、貧困を顔に刻んだような黒っぽいみなりの女が、自転車の前のカゴにスーパーのサービスのいつものビニール袋に入れた野菜を詰め込んで、信号の変わるのを待っている。目指す朝市はもうすぐそこだ、とブンにはわかった。
 向こう側の道路に渡りしばらく歩いていると、後ろから三人の女子高生が歩道を自転車に乗って等間隔に相並んでやってくる。ブンをたくみによけて並列の形をいささかも崩さず進んだ。若い肉体は、あの若々しい尻は陽気に自転車のサドルの上で揺れている。そこには貧困の影は見当たらない。おしゃべりしながらまっすぐ歩道を直進してゆく。すれ違いざま、ブンは気づく。彼女たちの言葉が中国語だということを。きっと朝市にむかっているのだ。この国に生まれ、この国にすっかり馴染んで顔も体も柔らかな都会風の娘たち。その母の世代があの黒っぽい痩せた女だ!
 まもなく、五〇メートル先の歩道の前方に人々が溜まっているのが見える。朝市帰りの中国人にひんぴんに出会いだす。たいてい手に野菜の詰まったスーパーマーケットのビニール袋をぶら下げている。あるいは自転車のかごに積んでいる。
 ブンが着いた朝市はわずか百メートルそこそこであった。
 最初のスポットとしてあったのは、「総合食品 卸・小売 はまや流通センター」の看板を掲げる中規模の業務用スーパー。従業員はこの国の人間。この国の言葉でやりとりしている。中国人たちも危なげなこの国の言葉を使っている。主に野菜のスーパー。百円野菜商品のオンパレード。しかし、冷凍の羊のアバラ肉や豚のアバラ肉も置いている。「昭和小麦」十キロ一袋、千百円。格安。「上ひつじ 六八〇円」の札の添えられた冷凍肉。店員に対しては客はなまったこの国の言葉だが、客同士では中国語だ。人々はどんどん野菜を仕入れていく。早口の威勢のいい中国語の投げ合いの渦のなかで。
 そこを過ぎる。歩道の車道側に今度は露天商、風呂敷商売の連中が並ぶ。中国煙草のカートンをはすかいに小さな煙突のように積み上げて売る。紅塔山、紅梅、など。中国の女優の顔や名山などの風景が印刷されたテレホンカード。この国と中国との往復の格安航空券の露天売り、BBJC旅行会社。強い香りの中国セリ、大きな太った中国青シシトウ、トウバンシャンなど辛子味噌の瓶詰め、そういった風呂敷商売。
 するとアメリカの星条旗を三、四本店の壁から歩道に突きだしている中古外車販売店のアメリカンスタイルのガレージが、この日は休みでシャッターを全部下ろしているのだが、店の前の歩道の道路側に赤いプラスチック製の円錐型の何本かの標識柱を並べ、黄色のナイロンロープを渡しながら、「ここに店を出すな」の黄色の看板を吊るしている。十メートルぐらいのこのガレージ店を過ぎ、この歩道に右手から接続する路地の入口を突っ切ると、横並びに今度は「華龍貿易有限会社 中国物産」の店舗、その隣は「中国東北料理 串香園」。
 やっぱりマンシュウだ、とブンは独りうなずく。
 この二店舗が朝市のメイン拠点であった。冷凍の羊・豚のあばら肉が店の前の路上に積まれ、その脇で、若い男が手斧をふるって、丸木の台の上で骨付き冷凍肉の塊を叩き割っている。店の奥には韓国と似て煮汁で茶色に染まった豚足や角煮が大きなステンレスの盆にてんこ盛りにされ、売られている。豚の頭というか顔というか、そのまるままの冷凍が秤の上にごろっと載せられた。店員たちも客も中国人。ここは完璧に中国人だけのワールドだ。
 店の前では横一列に、四、五人の店員がさまざまな包子を油で揚げている。棒状の包子の揚げ物もある。その奥に臨時の食堂が設けられている。兵営の給食用の細い長方形の机が中央に据えられ、丸椅子が並べられ、人々は合い席でそのテーブルを埋めている。壁際には四、五人用のテーブル、そこも満杯に近い。「豆腐脳」二百円、「豆乳」百円。この二種類の料理だけの食堂だ。入口で豆腐を発泡スチロールの椀に入れ、そこへ軽くとろみがついた熱々のスープをかけ、ネギと生姜と香の強い中国セリを薬味に入れて客に渡す。ブンは、よく行く餃子屋で客の注文をとった店員が大声で調理場に放つ中国語を聞いていて自然に覚えた、「一個」の意味の言葉、「イーガ―」を叫んで、同時に店員の前で人指し指を相手に押しつけるように立てた。
 客は椀を受け取り、臨時の食堂の長テーブルを合い席で横一列に囲んで食う。テーブルにはラー油の小鉢。しかし、たいして辛くない。この国の唐辛子とちがい中国の唐辛子はずっともっと甘い。韓国と同じだ。長めの竹串に羊肉を刺し炭火で焼く串焼きにも唐辛子をたっぷりかけるが、全然辛くない。もし、あれぐらいこの国の唐辛子をかけたら辛くて食えた物ではないだろう。ラー油の唐辛子も、むしろ胡麻油に紅の色とちょっと辛味を添えるためといったほうが適切なぐらいに、辛くない。ブンの前に座っていた長身の女はこのラー油を豆腐脳の上にどくどくとかけ、スープを真っ赤に染め上げ、椀と一緒に渡された小さなプラスチックのスプーンで豆腐を掬い、強いセリの香が匂いたつ熱い真っ赤となったスープをすする。横の男にブロークンなこの国の言葉で語りかけていたから、その男はこの国の男なのか。だが、顔つきや風体からとてもそうは思えない。中国語を話せない中国人かもしれない。残留孤児だった親の子供、この国の言葉に買収されかけている二世!
 男の方は揚げた棒状の包子を食べている。するとまた若い女がスチールのパットに揚げたてのこの包子を四、五本積み上げ、テーブルにやってきて置く。専用箱から抜いたティッシュでこの揚げたての端をもち、待っていた人々は唇をとんがらせ息を吹きかけ、熱を追い散らしながら食らいつく。
 「中国物産」の脇ではいかにも度胸の据わった顔をした中年の男の中国人が羊肉を長めの竹串に差し、唐辛子を思いっきり振りかけ、羊の串焼きを売っていた。一本百円。その脇にいた相方のような連れの男は缶ビールで朝八時から顔を紅に染めている。
 ブンは前に聞いたことがあった。中国では街頭での羊の串焼き商売はウイグル族の専売商売なのだと。自転車車夫と同様にそれは街頭での下等な商売の代表であった。だからウイグル族のみならず漢族も、他の少数民族の中国人も、街頭の羊の串焼きは大好物であるにもかかわらず、ウイグル族は蔑視されていると聞いた。ウイグル自治区の反乱は中国共産党政府によって容赦なく鎮圧された。しかし、その鎮圧は五年後のもっと断固たる反乱の種を撒き、ウイグルをロシアのチェチェンやイスラエルのパレスティナにするための薬のようなものだった。二〇〇九年の大弾圧はウイグル民族のなかでは、漢族支配に抗する民族の聖なる反乱の英雄記念日に変換され、中国政府と漢族は自分がウイグル族との、またその過激独立運動テロリストとの終わりなき永遠化された闘争という蟻地獄のすり鉢から抜け出ることができなくなったことに気づいた。それ以来毎三年ごとにウイグルのインティファーダ(一斉蜂起)が起きている。その度ごとにウイグルの難民と政治犯は全世界に拡散してゆく。
 だが、インターネットの強固な絆とともに、だ。この点が事態の二一世紀的特徴であった。当然ながらウイグルのネットにもAGI(アンチ・グロバリゼーション・インターナショナル)は素早く浸透し始める。このカドマの朝市では漢族とウイグル族が仲良く同居しているのか、それとも大多数の彼らはもともとマンシュウ族で、同時にイスラムの信仰者なのか、ブンはまだ知らない。ましてAGIのメンバーが紛れ込んでいるのかどうか、などということは。
 ブンが聞いたところでは、朝市にはもっと屋台が出ているはずだった。この国の見物人まで繰り出し、さまざまな民芸品や衣料、書籍の類まで売られ、盛況だという話だった。たぶん最近それは抑制されたにちがいない。
 あの「ここに店を出すな」の黄色の看板が、数本の星条旗を店の飾りに掲げたアメリカンスタイルの中古自動車販売のガレージの前の歩道に吊るされた看板が、それを物語っていた。この国の住民は最初は面白がった。だが、しばらくすると、それは或る種の不安に変わり、嫌悪に変わり、嫌疑に変わり、警察との連絡となり、強固な意志となった。この街はわれわれの街であり、奴らの街ではない。大目にみてやる妥協のゾーンを一歩でも調子に乗って奴らが越えたら、われわれが急変する恐ろしさをいまから警告しておこうではないか、と。
 途中の出店禁止エリアを抜けばたかだか五〇メートルに満たない小さな中国人朝市に、パトカー一台が横付けし、二名の警官が無線機をもって市の始めと終わりの位置に監視役として立つことになった。ちょっとエスニックなコンテンポラリーな面白がりの観光スポットとして発展するかに思われたここが、突然規模縮小に追い込まれ、集まる中国人も、「あなたたちがまだ惰眠をむさぼっている日曜日の早朝をほんのちょっとお邪魔するだけです、どうぞまだごゆっくりお休みください、お目覚めになった頃には退散しております、ご迷惑は決してかけません」といった態度になった。
 しかし、むしろこの変化こそが、この国の治安当局にとっては重大な嫌疑の対象となった。態度の急転が、強固な戦略を背景にした有能な参謀による戦術転換のように切れがよすぎるのだ。奴らはおとなしくしている。だが、おとなしく、しかし、強固に持続している。その背後には必ずや或る意志が存在している。五〇メートルだろうと、既にこの国の区画が別な奴らに占拠され、そのなかでは奴らは我が物顔にリラックスして母語を話し、そこは奴らだけがいる場所で、楽しそうだ。臨時食堂のなかでは、つまり俺たちがいないところでは、奴らは同胞愛を楽しんでやがる。これは危険だ。俺と昨晩フウゾクのベッドで寝たあの女が、俺の乳首を噛み、俺のキンタマの後ろの、キンタマと肛門とのあいだの会陰に爪をたて、巧みに引っ掻き、たちまち俺をあえない射精に連れ込んだあの女が、今日あの朝市の臨時食堂の長机の上の豆腐脳にラー油をしこたまかけ、真っ赤になった熱々のスープに浮かぶ豆腐脳を朝から額に汗を浮かべかき込む。棒のような揚げパンを食っている横の恋人とおぼしき男と声高に話しながら。セックスワーカーは許容されている。ワークとしてのセックスと、恋人との、あるいは妻なり夫とのセックスは似て非なるものであるというブルース的真理を奴らは骨の髄まで分かっている! 奴らのこの仮面、二重性、両刀遣い、これこそ危険中の危険、奴らの底知れない根性を示すものだ!
 その奴らの根性の背後には或る意志が存在する。そうでなければ、かかる急転はない!つまり、カドマの中国人は既にこの国の権力によって集団化させられたのだ。
 
 

 
  9

 空は雪雲に覆われていた。まだ雪は降りだしてはいなかったが、街は重苦しい沈黙のなかに息をひそめていた。それぞれの街の四つ辻には、物陰に隠したコンテナのように、濃紺のヘルメットと戦闘服で身を固め銀色の大きな楯をもった一個分隊の機動隊の黒いかたまりが待機していた。
 噂が流れていた。ナショナリストの右翼過激派が移民労働者のデモに火炎瓶を投げるというのだ。いや、まず最初に移民労働者の指導者の誰かが刺殺されるにちがいないとも囁かれていた。デモの指導部からは、右翼の挑発に絶対にのるなという指令が繰り返し流されていた。指導部は記者会見を開き、もし火炎瓶がデモ隊から右翼の街宣車に投げられたとしたら、その投げた人間は警察のスパイであるという声明をマスコミに発表した。指導部はなんとしてもデモが暴動状態に発展することを回避しようとしていた。もしそうなれば、そこが罠の仕掛けられた場所だというのだ。日本の市民社会を敵に回す結果になれば、自分たちは永遠に敗北するしかないとこのデモの指導組織の多数派は考えていたのだ。
 しかし、右翼ナショナリストによる移民労働者運動への暴行は日増しにその件数を増していた。暴行に反撃した移民労働運動の活動家は無条件に検挙され、たいてい本国へ強制送還されることとなった。移民労働者のつくる労働組合事務所のいくつかは火炎瓶が投げられ既に焼失の憂き目に会っていた。右翼の挑発が本気でなされれば、それへの怒りが指導部の統制をご破算にして、一部の局面であれ、暴動の場面を誕生させることになることは眼に見えていた。実はマスメディアは固唾を呑んでそれを待っていたのだ。暗闇のなかに車を包む火炎の炎がボンという軽い爆発音とともに上がり、その炎に照らされてゆらめく血走った顔の移民や右翼や機動隊の姿を、血にまみれた負傷者の姿をフレームアップできれば、またたくまに暴動の事実は確立する。「反体制」が消失したこの国のなかで半世紀ぶりに街頭での暴力的衝突が起きる。しかも、それは移民労働者と右翼との、あるいはこの国の国家権力との衝突なのだ。いや、それは移民労働者とこの国の市民社会との衝突なのだ。久しぶりに興奮がやってくる。何十年ぶりの興奮だ! ちんけなガキタレの大麻汚染を暴きたてて暇を潰すことにはほとほとうんざりしていたのだ。誰だって!
 しかも、この移民労働者のデモにはAGI(アンチ・グロバリゼーション・インターナショナル)の最左派の活動家がもぐりこんでオルグ活動を始めているともっぱらの噂だった。アナキズムと化石化した「プロレタリアート独裁主義」と一種の宗教的苦行主義とがアマルガムを起こしたような、奇妙な「党」が。「アギ」あるいは「アギ・レフト」と呼ばれたその組織は一般にはまだほとんど知られていなかった。だが、少なくとも知的には急進的であることに自分のアイデンティティを見いだそうとしていた若い知識人のなかでは既に知れ渡っていた。AGIの関係者であるか、その関係者を友人にもっていることは、平たくいえば箔であった。神話となった「ラディカルな知識人」を気取るための。
 IT革命はこの領域では決定的な貢献をおこなっていた。AGIはそのインターネットのネットワーキングによって、沼地に変わったこの国のなかで自分の人生を汚されたと感じていた一部のアウトサイダータイプの若者と、世界各地の悲惨ないわば「前線」的な現実とを結合することに成功しつつあった。たとえばパレスティナ、バグダットをはじめとするイラクの諸都市、チェチェン、チベット、戒厳令下の香港、独立派と親共和国派がいまや内戦状態に入った台北、インティファーダが繰り返され、処刑と亡命と難民に類する国外脱出の坩堝と化したウイグル自治区、街中を秘密警察が嗅ぎまわっている中国東北の吉林省の朝鮮民族自治区、北朝鮮からの難民の脱出口を内に隠しもった豆満江沿いの中国側の対岸の諸都市、内戦の奈落に沈没したアフリカの諸都市、等々のなかで公然あるいは非公然で活動するさまざまな反乱組織との接触、それはAGIの一手販売だった。つまり、AGIは閉塞し退屈の極北となったこの国の、そうした状況に対する嫌悪感で一杯となった少数派の青年男女に対して、彼らの怨恨と脱出のロマンティシズムに実践的情報の肉付けを与えた。さらにそれだけでなく、現に移動を可能とする人間と人間とを繋ぐ交流と受け入れのネットワークを大規模に提供し始めていた。そして合法のネットワークの陰に非合法のネットワークが潜められていることは、このネットワークに入り込んでゆけば誰もが気づいた。「アギ・レフト」はその非合法部門をほぼ占拠していた。
 既に公安警察はマスコミを通じて、移民労働者の運動への国際テロリストの潜入が極めて高い確度で懸念されていること、それが当面の治安問題の焦点となっていることを暗に匂わせ始めていた。
 事実、世界はいたるところに「前線」的地域を誕生させていた。「前線」的地域はたんにアメリカ帝国のグロバリゼーション戦略が生みだしたわけではなかった。ロシアと中国の帝国主義もまたそれぞれの仕方で自国とその周辺に「前線」的地域を誕生させた。この「前線」的地域で帝国の支配に反抗する人間たちの闘争形態はテロリズムにほかならなかった。そして、大半の移民労働者はその「前線」的地域からやってきた。この地域はいわば世界のなかの「死の飛び地」であった。アイズの死んだ叔父の書き残した言葉を使うなら。

  10

  
 アイズはブンの待つカフェに着いた。彼女はまるで冬の寒気に対して武装を整えているかのように首に黒い絹のマフラーを固く巻き、黒い男物の大きな足元を包むほどのオーバーに身をくるんでブンの前に現れた。ブンを見つけるとアイズはいつものように恥ずかしそうに微笑み、近づき、黙ったままブンの前でおもむろにそのマフラーを解き、行きはぐれた少女の気配がまだ微かに残っている横顔をブンに見せながら黒いオーバーを脱ぎ、脇の椅子に丁寧にそれを折り畳んで置いた。その後で自分の椅子に腰掛け、ブンに向き合った。まるで重い武装を解いたような面持ちがそこにあった。すると次の一瞬アイズの眼に光が射し、小さな爆発が起こったように見えた。彼女はいきなりこういった。「ブン、やろな。絶対やで」と。
 「まだ名付けられていない、何かを。そうだろう」とブンは応じた。
 彼女は小さく笑った。何かといえば彼女が口にするご愛用の言葉を鼻先に突きつけられて、ちょっと気恥ずかしくなったのだ。「名付けられていないもの」、それはここ数ヶ月の彼らのテーマだった。彼らの思考はつねにこのテーマのまわりを回った。アイズがそういったとき、それは数日前に交わした会話の継続を意味した。あたかも二人が別々にそれぞれの暮らしを送っていた数日が存在しなかったように、会話はこの前断ち切られた地点から直ちに再開されねばならないのだ。だから、アイズはいきなり本題に着手したのだった。
 アイズは即座に出発する、彼女はベドウインの黒衣の女ゲリラのつもりなんだ、とブンは思った。ブンは視線を彼の眼の先で揺れている彼女の黒いアンクル・ブーツから、その足元に置かれた、いつも彼女が肩からはすかいに掛けている重そうな黒い皮の頑丈な鞄へと移しながら、考えた。アイズのモードはつねに戦士のモードであり、それを捨てることは決してないだろう、と。アイズはいつも男物の編み上げ靴をはいていた。そのことをブンはひとつの証明と考えた。あの鞄はまるでゲリラの背嚢だな。何時でも、何処でも、出撃可能、そういう態勢に自分をおいてないと気が済まないんだ、アイズは。ブンは自分のズボンのポケットにいつもしのばせている小さなナイフを意識しながら、アイズの流儀というものについて一つの定義を与えてみようという気になった。
流儀。まず、人間は流儀を持っている人間とそうでない人間とに別れる。流儀とは、たとえば俺のナイフだ。
 そうブンは考える。彼のナイフは特殊なナイフで、幅が五ミリを越えるか越えないかのごく細身の、まるでフェンシングの剣の先っぽだけを薄く鍛造してつくったような、ただ突くだけの機能をもった刃渡り一〇センチほどのナイフだった。それは美しいアール・ヌーボー調の象牙の柄のなかに折り畳まれていた。その柄の優美な女性的な曲線からしてたぶん婦人用に造られたのものにちがいない。とはいえ、刃を引き出しストッパーをかけると、もう折り畳めなくなった。突き刺す機能が生まれた。たとえ刃渡り一〇センチでも、ただ突き刺すことへと機能を純化し、そのために錐のように固く硬直することのできるこのナイフは、突き刺す場所さえ適確ならば致命傷だって可能なのだ。ブンは中学生のとき父親の机の引き出しに忘れ去られたように仕舞われていたそれを見つけ、秘かに自分のものとした。父はたぶんこれをヨーロッパの蚤の市なぞで見つけペーパーナイフにでもしようと買ったのだろう。とはいえ、ブンを惹きつけたのは、その優美な姿態をしたナイフが使い方によっては十分殺傷能力をもつという点だった。
 あるときブンは街の古道具屋に細い棒状の砥石が柄についている西洋型の砥石を見つけ、それを三百円で買った。彼はときどきこの棒砥石で彼のナイフを研ぐのが好きだった。研がれた刃に指の腹を当てると、刃が指の皮膚を吸いつけ、向こう側から忍び寄って沈黙のうちに皮膚を裂いて、そこから肉のうちへ分け入るように入ってくるようで怖かった。研ぎ澄まされた刃とそうでない刃とのあいだには天地の差があった。刃物を知っている者だけが、つまりこの天地の差を知っている者だけが、「切れる」という言葉のメタファー的な役割を理解できるにちがいない。そう彼は思った。
 暗殺者のように刃は忍び寄り、その鋭利さの前には肉体は肉体のもっていたはずの、生命の守り手であるためのあの皮膚と筋肉の継ぎ目一つない強靭な張りを、あの一(いつ)であるということを、存在であるということを、一瞬のうちに喪失してしまう。すると致命傷に到りかねない血の噴出と流出が生じる。気がつくと、もう自分は侵入され、切り裂かれ、解体され腑分けされつつあることを知る。そんな風に。生きている肉体は息を飲む間もなく刃に侵入され、出血し、心臓を刺し貫かれてしまう。刃物は人間の存在の嘘のような脆弱さを剥きだしにする。
 ブンはそのナイフを眺めながら次第に次のような奇妙な思想を彼の脳髄のなかに生みだした。人間はつねに人間を実際に殺すことのできる小さな武器を携帯していなければならない。他人にしろ自分にしろ、殺すことができるという危険な可能性をまざまざと抱き、その危険といつも一つになっていなくてはならない。小さな武器の所持はそのことを可能にする。そして、そのことが〈意志〉というものを自分につくりだす。殺人は自分に向けのであれ、他人に向けられたものであれ、人間にとって最も恐るべき可能性だ。そして武器の所持によって、ひとはこの戦慄的可能性をいつでも使用できる状態に自分を置くことができる。重要なのは、そのことによって〈意志〉というモードを自分に与えることができるという点だ。この戦慄的可能性を使用することも、使用しないことも、ひとえに自分の意志にかかっている。こうして〈意志〉にすべてが委ねられる。この〈意志〉に対する緊張状態のなかに自分を投げ入れ、それを保持することが問題だ。つまり、自分に〈意志〉というモードを与えるのだ。 
 この自己理解において、奇妙なことにブンは自分が衝動の果てにナイフを振るうといった自分の姿を一度も想像しなかった。ナイフはブンのストイシズムの象徴であるべきであって、いかなる場合も我を忘れた衝動の象徴であってはならなかった。その点でもブンはそのナイフの女性的な優美さが気に入っていた。男の野蛮さはいつもブンの嫌悪の対象だった。なぜなら、そこには〈意志〉というものが見いだせないから。ブンの考えによれば、美しいものはただ〈意志〉によってだけ生まれるはずだった。ブンは〈意志〉の輝きをもった美しか認めなかった。こうして〈意志〉とは、ブンの理解によれば、また流儀の問題でありスタイルの問題でもあった。これが俺の流儀だ。そしてこの流儀を保持するためには死をも厭わない。ナイフはブンにとって流儀をもつことへの誓約にほかならなかった。
 アイズもまた流儀を持つ人間だ。では、その彼女の流儀とは?いつでもゲリラのように旅立てること、そのことだろうか?

 
 
 11

 
 ブンはアイズを待っているあいだ或る書簡集の片割れの一つの頁を読んでいた。
 ここ数日彼は偶然拾った書簡集の片割れを読むのに夢中だった。
 それは一冊の本から数章をおそらくカッターか何かで切り離したもので、その切り離した数十頁をそのまま業務用の大型ホッチキスで手荒くとめていた。打ち放しのコンクリートの壁のように、めくれあがった最初の頁の上でいきなり本文の活字が始まっていた。
 どうしてそんなことをしたのかわからない。誰かが誰かに、これだけでも読めと引き裂いて渡したのだろうか。それとも誰かが自分のために、これだけは手元に置こうと元の本から引き裂いたのだろうか。
 ブンはそれを数日前にある映画館の座席の下に見つけたのだ。
 だが、それを映画館の窓口に届けることはしなかった。届けたところで、窓口は受け取ったあとゴミとして捨てるだろう。その一切の装飾を剥ぎ取って、核心だけを突きつける、その乱暴さに好奇心を覚えた。そんな風に剥き出しにされ、放り出された文章の中身を覗いてみたくなった。帰りの電車のなかで読み始め、それ以来ここ数日、ブンはそれの虜になっていた。
 ブンがそのとき読んでいた頁には、五年前に起きたフクシマの出来事の直後にその著者が恋人と思しき宛先人に書いた詩の断片が印刷されていた。
 
千の屍が湾をおおう。一体一体が、全裸となって、暗色の油面のようなまるみを帯びた穏やかな波のうねりとなって、沖からゆっくりとゆっくりと浜に打ち寄せる。もう死んでしまったのだから、悲しまなくてもいいよ。そう千の屍が波を揺らしながらいう。もう私は苦しんでいないのだから、お前は苦しまなくてもよい! 錆びた天と喪の海とのあいだに、その円形の縁をわずかにのぞかせた、仄かに光るレモン色のニライカナイから、屍は暗緑色の波となって浜に打ち寄せる。
私たちは、海につかり、すっかりふやけてしまい、くらげのように形をうしない、目鼻をうしない、もうすぐ海水に溶けだしてしまう半透明な物体となったよ。だから、お前も人間の心をお捨て! この私たちに巨大な網を打ち、ひとまとめにし、もう二度と私たちが打ち寄せる波とならないほどの遠くへ、あの水平線の黄い光の場所にまで運び、海底の黄泉の国に網ごと沈めておくれ!
千の屍の波音。
まだ春が来るには早すぎる、終わってしまった冬の名残りが、痛ましい小さな死となって天からひらひらと落ちて来る、北の海の話だ。
 
 そしてこの詩には次の一文が添えられていた。
 
なあ、君! 僕の愛読しているケーテ・コルヴィッツは、第一次大戦が勃発して二ヶ月たった頃、一九一四年十月二七日の日付の日記の頁にこう書いてるんだ。
「私はハンスに自分の仕事について語る。私は戦争が自分にもたらすものに対してまだフォルムを見いだしていない。どんなフォルムもすでに古臭い習い性となった典型化されたものだ。こんなにも新しいことはまた新しい表現形式を発見すべきなのだ。この点での私の不発。新しき生成と変更された態度決定について、私はハンスに語る」。
こんな具合にね。
僕らが一週間前に体験したフクシマの出来事はもちろん戦争ではなかった。しかし、一つのカタストローフの体験であったことだけは確かじゃないかな。
今、僕の机の上には予感だけが置かれている。そして、僕はこの彼女の言葉を少し書き換えて自分のものにしようと思った。
「僕はこの北方の海辺で起きたカタストローフが自分にもたらすものに対してまだフォルムを見いだしていない。この点での僕の不発。」
 

 
 
12

 
 まだ名付けられていないことをやる。
 二人の会話はこの前断ち切られた地点から直ちに再開されねばならなかった。
 ブンはアイズにこういった。「なぜおまえがテロリストが好きなのかは、結局おまえが子供の精神に固執してるからなんだと俺は思う。子供というのは〈世界〉への欲望を純粋にまだ保持することができている点で大人と区別されるんだ。」
 「ブン、また何か本を見つけたね。あんたの好きな《観念》に火を放つような。」
 「イタロ・カルヴィーノの書いた空想物語に『木のぼり男爵』ってのがあって、その主人公はロンドー男爵の息子コジモなんだ。そいつは、十二歳のある日、食卓のカタツムリ料理を拒否して、というのは大嫌いだからさ、そして屋敷の樫の木にのぼり、もう降りてこないんだ。」
「それをブンは昨日読んだ。いつもあんたはあたしを馬鹿にしてこういう。おまえはたった一つの歌しか歌わない。俺のナイフのように垂直に尖ってる。だけど、それは狭くて退屈だ、って。だけど、ブン、あんた他人(ひと)のこといえるの?『そして屋敷の樫の木にのぼり、もう降りてこないんだ』だって、それを聞いただけでもうわかる。あんたがたった一つの歌を歌いだしたってことはね。でも許してあげる。続けて。」
「コジモはどんな時も木から降りることを拒否する。木から木へと枝をつたい歩いて樹木の上で暮すことを決意する。いいだろ? おまえのいったとおりさ。俺はこういうヒロイズムしか愛さない。
 ところで、コジモは木から降りることを拒否するからこそ、彼の生涯を木から木へと渡り歩けるロンドー男爵の領地の森のうちに閉じ込める。な、アイズ、ここがポイントなんだぜ。考えてもみろよ、子供のできることといったら、木にのぼったり、押入れや屋根裏部屋に閉じこもったり、裏山の秘密の穴蔵にこもったりすることだけだよ。子供であるがゆえに彼は自分の土地や家族を離れることはできない。彼のできることは木にのぼることなんだ。そして木から降りないことは、これは子供にとって唯一彼が自分でできる選択なのさ。たとえ、彼が大人たちの手によって木から引きずり降ろされようと、木から降りないという選択は可能だ。心のなかでの。そんな風にして、自分の〈世界〉を樹木の上に据えつけてしまうことは。子供というのはそもそもそういう存在なのさ。自分の庭の樹木の上に、押入れや屋根裏部屋という〈欄外〉に生きるのが子供さ。そういう意味で〈外部存在〉なのさ。〈秘密存在〉なのさ。」
「やっぱりね。いうことはすらすらわかるわ。だって、あんたが百万遍いってきたことだからね。それにあたしも反対じゃないし。そのあんたの命題に。〈外部存在〉だとか〈秘密存在〉だとか、やたら『存在』を連発するのは、ちょっと肩をすくめたくなるけどね。だけど、そのことがテロリストの話とどうくっつくのかしら。そして、あたしがテロリスト好きだということと。」
「この樹木の上にいて地面に降りないという、この地面とのあいだに生まれている距離がね、子供をいつも〈世界〉を眺めているというポジションに置くんだよ。世界の内部にいれば世界は〈世界〉という球形としては見えてこないだろ。距離をもつ者にだけ世界は〈世界〉という球体として現れるんだ。そしてそういう眼差しの角度というものはさ、テロリストが世界を見てるときの眼差しの角度と一緒なんだよ。」
「なぜさ?」
「俺は想像するんだ。テロリストにとっては彼以外の世界は、テロの陰謀を知らぬが仏の呑気者たちの世界だろ。彼だけが覚醒していて離れている。何たって彼が仕掛けた爆弾が5分後に破裂するのを知ってるのは彼一人なんだからな。彼以外は全部一まとめに向こう側なのさ。テロリストは骨の髄まで孤独だからな。なんたってやつは退路を断った人間だ。刺し違えの死を決意した人間だ。テロリストが殺そうとしている相手だけじゃないぜ。そうした陰謀を知らないという点では等しく同類なんだ。他の連中も。5分後の破滅を知らない脳天気な『馬鹿者ども』の〈世界〉なのさ。そうやって世界はテロリストの向こう側、外側へとまるごと押しやられ球体化するのさ。子供は〈欄外〉に棲息する〈外部存在〉なんだよ。俺は思うね、子供たちはいつも〈世界〉に彼らの秘密の小さな爆弾を仕掛ける陰謀を夢見ている人間たちなんだって。」
「うん、それはいいね。秘密と子供を結ぶのは。子供はいつも自分の秘密基地をもとうとする。自分たちだけの秘密を取り交わす。暗号を生みだす。通信することが好き。ほら、昔あったでしょ。糸電話!」
「だから、〈世界〉を自分たちが夢見る秘密に照らして秘儀的に解釈しようとするのが、子供たちなんだよ。」

 
13

 アイズは、「子供たちは小さなテロリストだ」というブンの解釈が気に入った。陰謀家は歴史を秘儀的に解釈する。自分の陰謀が歴史を動かすと考えるその思い上がった傲慢さは、彼自身に跳ね返って、歴史は隠された大いなる陰謀によって操られた秘儀的な過程であり、自分の陰謀はこの歴史の運命劇の一員なのだと考え始める。歴史の秘儀としての陰謀は、白魔術ならぬ白陰謀でも、黒魔術ならぬ黒陰謀でも、さして変わらぬ。神と悪魔との対立は本当のところどっちがどっちやらわからなくなるのではないか。問題は歴史は秘儀の過程だというそのことだ。人は歴史の表面しか見ず、この秘儀をうかがい知ることはできない。だが、陰謀家は、そしてその孤独な刺客たるテロリストは、この秘儀にこそ参加しようとする。
 アイズは陰謀家というのはどうにも好きになれなかった。だいたいからしてアイズは計画を立て、戦略と戦術との関係を厳密に分析し、その上に行動を組み立てるといった風な態度をとることが好きでなかった。その能力がそもそもなかった。何にしても、彼女のやり方は直情径行に尽きていた。だが、「陰謀家」を子供にまで引き戻してイメージすることは気に入った。突然陰鬱な眉間に皺を立てた黒々とした陰謀家が可愛らしい存在に変換されるようで、それが面白かったからだ。押入れの奥の陰だとか樹木の上だとかから世界を覗き、その眼差しの角度によって世界を〈世界〉へと球体化する子供は、そのテロリスト的な視線の背面に同時にまたお伽の国の夢に取り憑かれた夢想家の視線を隠しもっているのだ。世界は陰謀の眼差しのもとで〈世界〉として球体化されるだけでなく、その陰謀そのものが彼らが或る一つの〈世界〉の夢に取り憑かれたことの帰結なのだ。
 ブンは自分の思考を追いながら考えていた。何もすべての子供がこうしたテロリスト的な存在様式を等しい程度において分けもっているというつもりはない。濃度という問題はつねにある。あるいはまたこうもいえる。子供もまたいかんせん人間の種族なのだから、現実に存在するすべての子供は子供と大人の中間項としてしか存在しない。この存在のグラデーションにおいて、しかし、つねに例外的存在というものが存在する。子供の存在の〈欄外〉的性格だけを自分のうちに濃縮してしまった一種の奇形児、極度に夢想的な子供というものが存在する。このこともまた確かなことなのだ。一種のテロリズムにほかならない空想という秘儀的な遊戯の遂行者となるのは、こうした奇形児たちなのだ。
 そして彼の判断によればアイズもまたこうした奇形児以外の何者でもなかった。

  
14

「ブンとあたしとは絶対の友達だね。子供を小さいテロリストと考えたブンは。あたしたちは絶対に何かをやると思うね。そういうテロリストとして」
 そのアイズの言葉を聞いて、ブンはかすかに笑った。世界にアイズの「絶対」がいま降臨する。彼はそう口のなかで呟いた。ブンは彼女の「絶対」を聞くのを愛した。アイズのこの言葉とともに、世界に向けてある絶対の誓約がなされ、世界には必ずそこへたどりつくべき「約束の地」が誕生する。道が探られる。あるいは発見される。世界のうちで出会う出来事はこの「約束の地」という目的から発して新たな照明を受けるべき秘儀的な出来事となる。そのとき世界は一種の神話的世界へと秘かに移行した。重要な役割を果たしているかに見えていた多くの人物と多くの物事が背景のうちへと没し去った。その代わりに、別な人物と別な出来事が別な強度をもって背景から浮上し、〈世界〉はただそれらの人物と出来事によってだけ織りなされているものへと変わった。地図は塗り変えられ、別な道と別な場所が別な人間たちとともに与えられた。
 とはいえ、「絶対」という言葉が、もしアイズ以外の誰かの口から語られた場合も、ブンにとってこの言葉が同じ効果をもったかどうかは、彼には答えがたい問題であった。というのも、ブンにとって「絶対」という言葉は、アイズがそれを口にするときの独特な調子と切り離しがたく一つのものだったからである。アイズの「絶対」には有無をいわせぬ或る激しさとともに、それでいて思わずほほ笑まずにはいられなくなるような素朴な信頼の調子が含まれていた。小さな子どもが「絶対だよ」といって、相手がうなずけば、もうそのことで約束はなされたと信じて幸福となる、あの天真爛漫な調子が含まれていたのだ。そしてその調子こそブンが愛したものだった。
 アイズは別れ際にこういった。
 「あたしは『死の飛び地』という言葉をつい昨日自分のなかに仕込んだよ。そのうちにあんたにプレゼントするわ。この言葉を。一番ぴったりするとき、あんたが一番喜んでくれるときに。もうちゃんと用意ができてる。期待していいわ。あたしの贈り物を。あんたの《観念》に火をつけるやつ。あたしたちへの、あたしの贈り物を。
 ブンはついさっきまで読んでいた拾った書簡集については黙っていた。それについてまだ本格的に喋る決心はついてなかった。そこには熟考すべき内容があったからだ。だから、この書簡集こそ彼が夢中になっていたものであるにもかかわらず、彼は敢えて口を閉ざした。アイズにはいつも決定的な話をすべきなのだ。
 会話はポケットのなかから宝石を掴みだし、それを差しだす行為なのだ。掌をあける、「ほら!」。そこには宝石がある。たとえ他人には一個のガラス玉、色ガラスの破片にしか見えないものであっても、あの子どもの宝石が。鉱物のように固く自己に凝集し独立した何か。発光するもの。それ自体となったもの。今日の俺の獲物。アイズはそれに眼を凝らす。ブンはそっけなくいう。「おまえにやるよ」。それが彼らの会話だ。

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             工事現場 Ⅱ‐1

       アイズ                 第一章・第二章